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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2016年6月22日水曜日

追憶 1381

Rはわたしがお金を出し、いつものように望遠鏡を覗けると思っている。
それが普通だったからだ。
しかし、わたしは決してそれを許さない。
表面的な人間になって欲しくないからである。
そんな人間は詰まらないのである。
様々なことを経験することは良いことだと思う。
全身で体験した後に望遠鏡を覗くのも良いとは思う。
しかし、わたしには両立することができないと思えるのである。
特に、子どもの感性は両方を得ることができないだろう。
多くの人は多くを欲しがる。
あれもこれもと欲を出す。
その結果、深く進むことができないのである。
全身で体験した後に望遠鏡を覗けば、今のRには習慣によって優位にある、望遠鏡の体験、記憶が勝るのは必至であろう。
結果として、全身で体験したことは何処か遠くへ追いやられてしまうのである。
それは、将来的にお金で楽しみや幸せを手に入れようとする行為に繋がる可能性が高い。
それが、父親であるYの生き方から生じる無意識の教育なのである。
このままでは、Rが使命を忘れ、父親のように”普通”に生きていくことになるだろう。
そのため、どちらかを断つ必要があるのだ。
当然、わたしは望遠鏡を断つのである。

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