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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2016年6月20日月曜日

追憶 1379

次にRの発する言葉は予想できる。

”望遠鏡が(で)観たい”

であろう。
まだ、離れているが、Rは望遠鏡を隈(くま)なく触っていた。
わたしたちが近付くと、Rは満面の笑みで「これ(望遠鏡)が観たい」と言った。
予想通りである。
見ると、100円と書かれていた。
それで何分間か使えるのだろう。
どこにでもある普通の光景である。
わたしはRを諭した。
目で観て、耳で触れて、肌で感じて、心で受け取れば良い…と。
しかし、Rは納得しなかった。
どうしても、100円を出して望遠鏡が使いたいというのである。
普通ならば、わたしの言葉が理解できないのは、子どもだからだと考えるだろう。
知能の未発達によって理解すること、受け入れることができないと…
しかし、本当にそうであろうか?
子どもだからといってわたしの言葉が理解できないのだろうか?
価値観の凝り固まった大人には難しいことかも知れないが、子どもには容易であると思うのである。
Rにはきっと、わたしの言葉の意味がある程度は分かっているだろう。
しかし、それよりも強力な価値観が存在しているのだ。

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