光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2014年5月31日土曜日
追憶 630
彼を見た時、わたしは心が躍動するのを感じた。
天使に会った時にはいつも、恋人に巡り合った時のような高揚感を得るものである。
すぐにわたしは左の腕を胸に当て、右腕は地面と水平になるように真横に伸ばした。
そして、それと同じ要領で反対の動きをした。
昔のヨーロッパの貴族の挨拶を派手にしたような形である。
その後に両腕が胸の前で交差するようにたたまれて、そのままの姿勢でお辞儀をした。
これはきっと、天使の挨拶である。
2014年5月30日金曜日
追憶 629
それは、間違いなく天使の翼である。
わたしは大きな疲労感を得たが、それ以上に喜びが勝っていた。
それは新たな天使に会える予感がしているからである。
すると、頭上に大きな光が現れた。
それは、温かなオレンジ色の光であった。
その中に後光をまとう人影が見える。
わたしは心に更なる喜びが溢れるのを感じた。
後光が人影の頭上集中すると、それは光の輪となってそこにとどまった。
そこには、たくましい肉体の白人男性がいた。
2014年5月29日木曜日
追憶 628
背中に手を差し込むと、指先に当たるものを感じた。
それを引き抜かなければならないと感じ、わたしは力一杯にそれを引いた。
しかしながら、それはびくともしない。
感触は柔らかいのであるが、それは竹の根っこのように頑丈であり、わたしに屈するまいと抵抗をやめなかった。
しかし、わたしはやりたいことは自分なりにとことん突き詰める負けず嫌いな性格なので、それが引き抜けないのは悔しかったのである。
わたしは意地になって引き続けた。
心の中では抜けろと何度も願っていた。
しばらく続けていると、感触に変化が現れた。
今まではびくともしなかったそれが、微かに動いているような手応えを感じるのである。
わたしはこのチャンスを逃すまいと、より一層の力を込めた。
すると、抵抗が緩んだと同時に背中から白い翼が引き抜かれた。
2014年5月28日水曜日
追憶 627
それはオレンジ色の美しい輝きであった。
光の粒が密集し、まるで一つの輪に見える。
宗教画に描かれている天使は、その頭上に光の輪を掲げている。
わたしが見ているのは正にそれであろうと確信する。
感動する暇もなく、次にわたしはKの左右それぞれの肩甲骨の辺りに、左右の手を添えた。
すると、わたしの手の甲がオレンジ色に輝き始め、それは瞼(まぶた)を細めなければならないほどの輝きを放ったのである。
しばらく、自らの手の甲が輝いているのを見ていると、Kの背中に感触がなくなっていることに気が付いた。
そして、わたしの手が音もなく背中に沈んでいくのを見たのである。
2014年5月27日火曜日
追憶 626
自分と同じような状況がKの中にあるのに感動を覚えながらも、わたしは冷静に自分自身のするべきことを疎かにはするまいと考えていた。
わたしには余裕がないのだ。
いつも必死に、必要を受け取ろうとしていたのである。
「導きなさい」
という大天使ミカエルの意思に従うと、わたしはKの頭上で指を弾き始めた。
指が弾かれると、乾いた音によって一粒の光が生まれた。
それは火花のような光であったが、一度生まれた光が消えるということはなかった。
何度も指を弾く。
その度にKの頭上には浮遊している光の粒がその数を増していた。
よくよく見ると、それは一つの輪を形成しているのであった。
2014年5月26日月曜日
追憶 625
Kの背中の中、光が生まれる場所にあったのは鳥の翼であった。
白い翼が圧縮されて収まっているように見える。
卵の中に雛(ひな)がいるなら、多分このような姿であろう。
わたしはこの光景に驚きはしなかった。
それは、大天使ミカエルが自分自身の中にいた時にも同じものを見ているからである。
Kの背中の中に存在しているのは天使で間違いないだろう。
しかし、Kの中に天使がいるのはある種の驚きではあった。
2014年5月25日日曜日
追憶 624
Kの背中から漏れる光に触れると、温かな気持ちと共に、なぜか緊張感が心に溢れている。
わたしは高鳴る胸を気に掛けないように努め、その感覚に従うようにして瞼(まぶた)を閉じた。
視界を絶った世界にもKの背中は存在していた。
暗闇の中にKの背中だけが浮き出ているような光景である。
やはり、それは淡く光を放っていた。
しかしながら、先程と違うところがあった。
それは、背中の中に何かが見えるということである。
背中の中、光がある場所に白い何かが確認できた。
わたしはそれが気になり、目を凝らすように意識を集中した。
2014年5月24日土曜日
追憶 623
光の柱が天に納まると、わたしはKの心から弾き出されるようにして瞼(まぶた)を開いた。
そこにはKの背中があったが、わたしは何とも言えない充実感によってその当たり前の景色を眺めていた。
すると、背中が仄(ほの)かに光を放っているように見えた。
心に向き合うまではこのような輝きは確認できなかったはずである。
わたしがKの心に触れることによって何らかのスイッチが入り、このような状態になったのではないかと推測される。
わたしには、この光が何を意味しているのかは分からなかったが、光を放っているということは良いことなのではないだろうか?
わたしはこの光の正体を確かめたくなって、それに手を伸ばした。
2014年5月23日金曜日
追憶 622
それは、大天使ミカエルの言葉だった。
わたしはその言葉に安堵(あんど)した。
それは、わたしの行ったことが間違いではなかったと理解することができたからである。
その時、光の柱の中からたくさんの声が届いた。
そのすべてが感謝を現すものであった。
わたしは自分が彼らの役に立てたことを確信して感動した。
「導きなさい」
大天使ミカエルの言葉は、わたしにこの人たちを天へと送り届けろというものであった。
わたしが頭上の光を指差すと、光の柱と共に人々が天へと昇っていく。
それは、表現し得ない感情を呼び起こすもので、わたしは自らの魂が震えるのを感じていた。
2014年5月22日木曜日
追憶 621
穴の中の人々を包み込む温かな光は、まるで大きな袋のようだった。
それは、わたしに胎児のゆりかごである子宮を連想させた。
温かな光に手を伸ばすと、それを掴むべきだと感じたので、わたしは素直にその意思に従った。
温かな光を掴むと、それを一気に穴の中から引き出す。
簡単にはいかなかったが、何とか引き出すことに成功した。
すると、人々を包み込む温かな光が徐々に薄れ、それと同時に天から太い光の柱が降り注いで、そこにいるすべての人を照らした。
そこにいたすべての人がその光に気が付き、一斉に天を仰ぎ見た。
皆、満足しているような表情に見える。
「彼らは満たされたのだ」
どこからともなく声が聞こえた。
2014年5月21日水曜日
追憶 620
もちろん、わたしは彼らを暗い穴の中から救い出したかったが、そのために手を差し伸べるという意思は持っていなかったのである。
自分自身の身体が、その意思の外で動くことには既に驚かなくなっていた。
今のわたしにとっては、それが自然なことであったのである。
差し伸べられたわたしの手に、穴の中の人々が気付いた。
彼らは頭上に掲げていた腕をわたし一人に向けて伸ばした。
わたしはそれがとても嬉しかった。
空中に線を引く。
光の杭が生み出され、右手がそれを掴んだ。
わたしは再度、光の杭を穴の中の人々に向かって投じた。
どういう原理なのかは分からないが、光の杭が穴の中の人々に到達すると、そこにいるすべての人を包み込む温かな光が生まれるのを見た。
2014年5月20日火曜日
追憶 619
様々な格好をした人たちがそこにはいた。
彼らは皆泣いているように見えた。
しかし、その表情は穏やかなものである。
先程までの光を掴もうと怒声のような悲鳴を上げてまで必死になっていた姿は無く、皆一様に両の腕を高く掲げて、静かに恵みを受け取ろうとしているような姿に見える。
誰一人として苦悩に満ちた表情の者はいなかった。
それを見て、わたしは心の底から嬉しさが込み上げてくるのが分かった。
彼らが苦しみから解放されたことが嬉しくてたまらなかったのである。
その時、わたしは穴の中に向かって手を差し伸べていた。
彼らを穴の中から引き上げようとしているのであろう。
わたしがこのように表現するのは、わたしの身体が自分自身の意思とは関係の無い力によって突き動かされていたからである。
2014年5月19日月曜日
追憶 618
穴の中にいるすべての黒い人が悲鳴を上げた。
それは、地響きのようなうねりとなってわたしを揺らした。
黒い人たちからは更に黒い煙のようなものが溢れ、それが彼らの頭上に雨雲のように漂っていた。
人々が叫ぶほどに、黒い煙のようなものは大きく膨れ上がった。
その時、天から一筋の光が射し、黒い煙のようなものを照らした。
それは、春の日差しのように優しく、夏の日差しのように力強い輝きである。
光に包み込まれた黒い煙のようなものは、太陽の陽が雲を散らすように徐々にその姿を無くしていった。
黒い煙のようなものが消えた後、穴の中にはたくさんの老若男女の姿が確認できた。
彼らはもはや、黒い姿ではなかった。
2014年5月18日日曜日
追憶 617
我に返ったわたしは、この黒い人たちに対する哀(あわ)れみが溢れてくるのを感じていた。
わたしはこの人たちをこの暗い穴の中から救い出さなければならないのである。
そう思った時に、わたしは自らの指先が空中を指すのを見た。
空中に差し出された指先が一筋の線を引けば、そこには光の杭が生み出される。
暗闇の中では、その輝きは目に痛い程であった。
わたしは光の杭を掴み、それを穴の中へと投げ放った。
光の杭は一直線に黒い人たちへと向かい、その輝きを人々に照らした。
2014年5月17日土曜日
追憶 616
苦しんでいる人にとっては、それが微かな光であれ大きな希望となる。
彼らにとっては、わたしという小さな力でさえ、大きな希望の光として見えたのだろう。
彼らはわたしに助けを求めているが、わたしの力が不足しているために引き込まれようとしていたのではないかと推測する。
多くの人はこのような状態を「悪霊に呪われている」というネガティブな解釈に持っていくが、わたしはそうは思えない。
助けを求めている人は善人だろうと悪人だろうと縋(すが)り付いてくるものである。
助けを求めてくる霊が悪霊であるのならば、この世界には何の救いもないだろう。
わたしたちが溺れているのならば、相手のことを考える余裕などなく、無意識に縋り付いてしまうのである。
2014年5月16日金曜日
追憶 615
暗闇の中には先程とは違う光景があった。
そこには、無数の人がうごめいているのが見え、またその全ての人が指を鍵状にした腕を目一杯に頭上へと掲げているのである。
そこにいる全ての人が影のように黒い姿をしており、目と口があるであろう場所には、更に黒い穴が空いているのみであった。
本来ならば口のあるべき場所に空いた穴からは低い悲鳴のような音が漏れている。
わたしはこの人たちが何かを必死に掴もうとしているように思えた。
暗い穴の中に落ち込んで、そこから抜け出すために藁(わら)をも掴もうとしているように見えたのだ。
彼らが掴もうとしていたのはわたしであると確信する。
彼らは、わたしという希望を見たのではないだろか?
2014年5月15日木曜日
追憶 614
穴の中を覗いていると、わたしは思考が崩れていくような感覚を得て、すべてがどうでも良いように思えてきた。
やる気が失われ、目的を忘れそうである。
わたしは魅入るように穴の暗闇を見ていたが、いつからか声のようなものがどこからか聞こえているのに気が付いた。
わたしは驚きはしなかった。
それは、気力が失われていたからである。
無気力なまま暗闇を見詰め、声のようなものを聞いていた。
「光を失ったのだ」
突然、頭の中に一筋の閃光が走った。
その言葉によって呪縛から解き放たれるように我に返ると、わたしは前傾に身体を倒し、今にも穴の中に落ち込みそうな体制を取っていた。
2014年5月14日水曜日
追憶 613
Kには異様な光景に映ったかもしれない。
これは「普通」ではないからである。
常識的に見るとおかしい状況であることは分かり切っていることなのである。
しかしながら、わたしはKが「普通」ではないことは知っているので、この状況も受け入れてくれるだろうという根拠の無い安心感を以て自分自身の仕事を進めた。
心の中には大きな穴があった。
それは井戸のように縦に空いた穴で、その中は真っ暗闇であり、光は全くもって届いてはいなかった。
そこが異常に気になったわたしは、穴の縁(ふち)にしゃがみ込んで中を覗いた。
穴の中には暗闇以外には何も確認することができなかった。
しかしながら、わたしは気分が悪くなり、心が重たくなるのを感じていた。
2014年5月13日火曜日
追憶 612
初めて触れたKの心の中には、深い闇が見えた。
普段はとても明るく、ユーモラスな人物ではあるが、心の中には満たされない感情や苦しみを抱えながら生きているのであろう。
わたしには見せなかったが、時々、度が過ぎて他人を傷付けてしまうようなところがあるが、そのような言動の原因がここにあるのかも知れない。
満たされない感情が攻撃的な言動に変わるのはわたしも実体験から知っている。
わたしたちはとても似ている。
Kの心の闇に触れると、気分が悪くなって吐き気がしてくる。
わたしは込み上げるものを我慢し切れずに吐き出す。
それはゲップとして体現されるが、わたしの口からは黒い煙のような破滅的な意識が吐き出されているのである。
2014年5月12日月曜日
追憶 611
Kはあっさりと了承した。
Kは天使や神のことは信じていない様子だったが、怖いことや不思議なことが好きであり、好奇心が旺盛なタイプである。
了承した理由は、友人の言葉に断り切れなかったことと、怖いことや不思議なことを期待してのことだと思う。
理由はどうあれ、了承してくれたことが嬉しかった。
わたしはKに背中を向けて座るように頼み、彼は素直にそれに従った。
Kにはただリラックスしてもらうことにして、わたしは精神を静め、意識をKの心に集中した。
2014年5月11日日曜日
追憶 610
信じてもらう必要はないが、わたしの魂からはKに対して天使の話をしなければならないという欲求が込み上げてくるのである。
わたしはこの感情を抑えることができなかった。
わたしは怪しい宗教のようにならないように、自分の体験を素直に話し、霊とは違う意識的な存在たちがこの世界にはいるのだということを伝えた。
Kは複雑な表情をしながらも、わたしの話を聞いてくれた。
天使の話をしていると、わたしはKの魂に触れたいという欲求が込み上げてきた。
わたしにはその欲求を止められそうもなかった。
様子を伺いながら、わたしはKに光の仕事(霊視)をさせて欲しいと願い出た。
2014年5月10日土曜日
追憶 609
わたしはKに対して自らの近況を伝えた。
もちろん、大天使ミカエルのことも話し、近所の人たちが遊びに来ていることも告げた。
わたしが天使の話をした時に、Kの表情が一瞬揺らぐのを見逃さなかった。
Kの心の中には疑心が芽生え始めていたのだろう。
それは、Kが霊を見ることはあっても、天使を見たことはなかったからである。
男という生き物は、自分が体験したこと以外は信じることが難しいものだと思う。
普段から霊を見ているKでさえ、見たことのない天使の話には懐疑的なのである。
わたしでさえ、この目で霊を見るまでは、霊を信じることができなかった。
天使を見たことのない人に、天使の存在を信じてもらうのはとても大変なことであろう。
しかし、わたしはKに天使の存在を知って欲しくなった。
2014年5月9日金曜日
追憶 608
その話を聞いた時に、わたしは羨(うらや)ましいと思った。
わたしは世間でいう霊感(意識的な力)を欲していた。
霊感を持ちながら、それをいらないと考えている人もいるだろうが、わたしには喉から手が出るほどに欲しいものだったのである。
わたしたちは霊感という人間の持つ不思議な力について互いに論じた。
互いに論じ合えば、それを高めるためのヒントが掴めるのではないかと思ったのである。
わたしの霊感に対する憧れと熱意は、自分でも驚くほどのものであった。
今までにわたしがここまで執着し、熱意を以て勉強し、楽しめたことがあっただろうか?
思い返してもそんなものはない。
わたしは今、人生に対する本当の喜びを初めて感じているのであった。
2014年5月8日木曜日
追憶 607
黒い人影は木々に隠れるような形で存在し、その全部がKに注目していた。
Kは一瞬でそれ等の影が人ではないと認識する。
自分を注視しているものたちが霊であることを理解した時、それ等の影が薄れ、その姿があらわになった。
そこにいたすべての霊が古い時代の軍服(戦闘服)を着ていた。
それは旧日本軍のように見えた。
Kは驚いて固まっていると、霊の軍隊が突然に銃を構え始め、その銃口を一斉にKに対して向けたのである。
反射的にしゃがみ込み、銃口を自分から外す。
鬼気迫るものを感じたKは、窓の外を確認することなく、身を屈(かが)めてその場を後にしたのである。
施設のある場所が昔何に使われていたのかは知らないが、もしかしたら、軍事的な何かがあったのかも知れないとKは
笑顔で語った。
2014年5月7日水曜日
追憶 606
Kを部屋に招き、互いの近況を交えた他愛ない話に花を咲かせる。
Kは仕事の関係で様々な施設を訪問するのだと言う。
そこで面白い体験をしたと話し始めた。
ある施設での仕事があり、そこでの作業が順調に終了したので緊張感から解放されて廊下を帰りながら何気無く外の景色を眺めた。
何気無く眺めた窓の外には緑の輝く山肌があった。
そこは木々が茂り、Kにとっては何の変哲もない普通の山だった。
しかしながら、何か気になるものを感じ始めたので目を凝らしてみた。
すると、木々に隠れるようにしてたくさんの人の姿が見えた。
2014年5月6日火曜日
追憶 605
ある日、中学からの友人であるKから連絡があった。
Kは霊感に優れており、日常的に霊を見ていると本人は言っている。
別にそれを自慢気に言う訳ではないが、聞いたらそう教えてくれるのだ。
彼は霊を見ることが楽しそうであった。
以前にここでも書いたが、高知県の山奥でのキャンプを主催した人物である。
彼は久しぶりに顔が見たくなったのだと言う。
わたしは嬉しく思い、Kの到着を待った。
しばらくしてKが到着した。
Kはいつものように明るい笑顔を持ってきた。
元気そうなのは相変わらずである。
2014年5月5日月曜日
追憶 604
他の人がどうなのかは分からないが、わたしの場合は自分勝手に使うことはできない能力なのである。
そのため、自らの欲望を実現するために利用することはできない。
良いこと(幸福や豊かさのため)には使えるが、悪いこと(不幸や貧しさのため)には使えない力であると言えるだろう。
それは、わたしを導く存在が大天使ミカエルという光の存在であるからである。
人に恐怖を煽(あお)り、不安にさせる霊能者がいる。
そのような者は、自身の心の中の闇の意思と闇の存在が導いている。
破滅的な状態の狐や犬神や悪魔などの霊的な存在によって指導されているため、恐怖を助長するようなことを口走るのである。
2014年5月4日日曜日
追憶 603
世間では霊能力と呼ばれる能力であるが、この能力は霊的な存在によって成り立つのではないかと思える。
人だけでは機能しない能力だと思うのだ。
電波が届かなければ携帯電話は機能しないのと同じである。
霊的な存在を認識する以前のわたしは、霊能力と呼ばれる能力はそれを使う人が自分勝手に使っている、又は使えるものだと思っていた。
そのような人、そのように思っている人もいるかも知れないが、わたしの場合は自分勝手に使うことのできない能力であったのである。
わたしが能力を使う時には、必ず大天使ミカエルの指導が入るような感覚があり、それによって自分勝手な振る舞いができない状態にあるのだ。
これは、無理をすれば叶うのかも知れないが、自分勝手に使おうとは思えないのである。
2014年5月3日土曜日
追憶 602
何であれ、数をこなしていると少しずつこつを掴むものだが、この霊能力というのはなかなか難しかった。
分かることもあれば分からないこともある。
人によって、又は霊によって見え方が違う。
それは、人や霊の性格や性質の違いというものが関係しているのではないかと思える。
文書によって伝えたり、理解するのが得意な人がいる。
図形によって伝えたり、理解するのが得意な人がいる。
口頭によって伝えたり、理解するのが得意な人がいるのである。
人によって、又は霊によって伝える方法や理解する方法が違うため、様々な形になって意思が伝わってくる。
伝えたい者もいれば、伝えたくない者もいるので、わたしが認識し、理解するのはとても大変なことだったのである。
2014年5月2日金曜日
追憶 601
この日の仕事を期に、近所の人たちがわたしを訪ねてくるようになった。
始めた頃は、来たい人は来れば良いという状態だったので、一晩で多い時に20人くらいがわたしを囲むようにして部屋に座った。
能力が未発達であり、こなさなければならない人数も多かったので、
19:30
から始めて
2:00
頃までかかるという日々が続いていた。
当然、昼間も養殖の仕事をしていたのである。
わたしはいつも体力と精神力と闘っていた。
わたしを支えていたのは、人が連れて来る様々な霊に会えるという喜びだったのである。
2014年5月1日木曜日
追憶 600
「魔が差す」という言葉があるが、どのように明るく生きている人であっても、破滅的でネガティブな思考を選んでしまうことはある。
それが悪いということではないだろう。
そのおかげで、Yさんの心の中にいた女性は天に帰ることができたのだから。
わたしはYさんに心の状態が導く状況を伝える必要があったのだと思う。
わたしもYさんと心の中にいた女性によって多くのことを学ぶことができたと思っている。
わたしはYさんと心の中にいた女性と、彼女が抱えていた苦しみに感謝した。
すると、目の前に光が現れてわたしを包んだ。
気が付くとわたしは覚醒していた。
Yさんの背中が見える。
わたしは仕事が終わったのだと悟った。
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