光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2022年11月29日火曜日
追憶 3677
これは個人的な見解だが、“神”が残酷(ざんこく)な存在であるはずがないし、無意味に人間や動植物を傷付けたり悲しませることはないだろう。
それは、“神”の仕事を見ていると分かることである。
“神”は残酷な存在ではない。
“神”は、すべての経験に対して、意味と価値を潜在(せんざい)させているのである。
2022年11月28日月曜日
追憶 3676
しかしながら、“神”がただ悲惨(ひさん)なことを経験させるだろうか?
年配の女性の心を傷付け、悲しませるためだけに、わたしの知り合いの運転する車にハクビシンを飛び出させ、それをはねて瀕死(ひんし)の状態にさせるだろうか?
“神”は、残酷(ざんこく)な存在なのだろうか?
2022年11月27日日曜日
追憶 3675
特に年配の女性は声を荒げて知り合いに詰(つ)め寄る程である。
彼女はハクビシンが傷付いて生死の境(さかい)を彷徨(さまよ)っていることだけに着目してしまったのであろう。
そこだけを切り取って考えるのであれば、目の前に広がるのは悲惨(ひさん)で救いのない出来事である。
2022年11月26日土曜日
追憶 3674
存在することには何かしらの意味があると考えるのが自然である。
残念ながら、知り合いと年配の女性は、ハクビシンが瀕死(ひんし)の状態に陥(おちい)るという体験に対して前向きな意味を見出すことが出来なかったのだろう。
彼等は、目の前の出来事に対して感情的に対応するしか無かったのである。
2022年11月25日金曜日
追憶 3673
理由があってそのような体験をしていると考えなければならないだろう。
理由を探らなければ、ただただ悲劇を体験しなければならないのである。
人生には、意味のない経験など存在しないだろう。
なぜなら、意味のないことが存在する意味がないからだ。
2022年11月24日木曜日
追憶 3672
テレビや広告が悲劇として扱えば、悲劇としか見えないのである。
しかしながら、実際には、アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれた子どもには、そこに生まれなければならない訳があるのだ。
たまたまそこに生まれた訳ではない。
2022年11月23日水曜日
追憶 3671
表面的に見るとは、遠くを見ているようなものである。
日本から、遠く離れたアフリカ大陸の恵まれない地域の子どもをテレビや広告越しに見ているようなものである。
残念ながら、そのような見方では、何一つ実情は分からないのだ。
2022年11月22日火曜日
追憶 3670
それは、その体験に関わる人達にとっては重要な学びだったからであるだろう。
もちろん、知り合いから話を聞かなければならなかったわたしにも重要な学びなのである。
表面的に見ると分からない意味と価値も、本質的に見ればそれが分かる。
2022年11月21日月曜日
追憶 3696
人情としては、ハクビシンは命を落とさない方が良かったし、知り合いは車で轢(ひ)かない方が良かった。
年配の女性もそれを目撃しない方が良かったし、心を痛めない方が良かっただろう。
しかしながら、世界(人生や神や運命でも良い)は悲劇を与えたのである。
2022年11月20日日曜日
追憶 3695
遠く離れている程に、幻想は大きく育つ。
それは、実情を知らないからである。
ハクビシンは(恐らく)命を落とさなければならなかったし、知り合いと年配の女性はそれを体験しなければならなかった。
表面的に見れば、誰にとっても悲劇である。
2022年11月19日土曜日
追憶 3694
自分を救うことが出来なければ、家族を救うことは出来ない。
家族を救うことが出来なければ、仲間を救うことは出来ない。
仲間を救うことが出来なければ、知り合いを救うことは出来ない。
知り合いを救うことが出来なければ、同じ地域の人を救うことは出来ない。
同じ地域の人を救うことが出来なければ、日本人を救うことが出来ない。
日本人を救うことが出来なければ、アフリカの恵まれない子どもを救うことは出来ないのである。
2022年11月18日金曜日
追憶 3693
同じ日本人の中でも、同じ地域の人。
同じ地域の中でも、知り合い。
知り合いの中でも、仲間。
仲間の中でも、家族。
家族の中でも、自分。
という具合に、助ける順番を誤ってはならないのである。
2022年11月17日木曜日
追憶 3692
これは極論ではあるが、日本人は日本人を助ければ良いだろう。
それは、日本にも恵まれない人がいるからである。
遠くの見ず知らずの人を助けるよりも先に、関係性の近い人を助けなければならない。
2022年11月16日水曜日
追憶 3691
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれなければ学べないことがある。
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれなければならなかった人が、日本に生まれる必要などない。
日本に生まれなければならなかった人が、アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれる必要などないのである。
人は、それぞれにとって必要な学びを得ている。
それで良いのである。
2022年11月15日火曜日
追憶 3690
学びは、愚(おろ)かさによって生じる。
それは、先天的なものもあれば、後天的なものもある。
残念ながら、すべての人間は未熟であり、愚かである。
誰一人として、完全な人間などいない。
すべての人間に学びがあるのだ。
2022年11月14日月曜日
追憶 3689
残念ながら、他には選択肢がなかったのだ。
わたし達は、愚(おろ)かな選択を避けることが出来ない。
それは、愚かな選択から学ばなければならないことがあるからだ。
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれた人は、そこで学ばなければならないことがある。
日本に生まれた人は、そこで学ばなければならないことがあるのだ。
2022年11月13日日曜日
追憶 3688
なぜなら、その愚かな選択を必要としているからだ。
ハクビシンが知り合いの車の前に飛び出すことは、愚(おろ)かな選択である。
しかしながら、それしか出来なかったのである、
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれることは、恵まれた日本に生まれた人から見れば愚かな選択である。
しかしながら、アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれた人達は、そこに生まれなければならなかったのである。
2022年11月12日土曜日
追憶 3687
そのことを理解しなければ、わたし達が愚(おろか)かな選択をすることは無駄になってしまうのである。
残念ながら、わたし達は愚かな選択を繰り返す。
それは、仕方のないことである。
なぜなら、それしか出来ないからだ。
より良い選択というものは確実に存在している。
しかしながら、それを選択することは出来ないのである。
2022年11月11日金曜日
追憶 3686
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれた子どもは、そこに生まれなければならなかったのである。
そこで、飢(う)えなければならなかったし、苦しまなければならなかった。
衣食住に恵まれた日本に住んでいると、アフリカの恵まれない子ども達の状態は悪いことのように思うかも知れないが、それを体験しなければならない魂であるということを理解しなければならないだろう。
2022年11月10日木曜日
追憶 3685
仕方のないことを嘆(なげ)いても仕方がないのである。
人間に出来ることは、起きてしまったことから学ぶことだけである。
起きたことを否定しても仕方がないのだ。
なぜなら、起きたことは変えられないからである。
表面的な情報や感情に惑(まど)わされてはならないのだ。
2022年11月9日水曜日
追憶 3684
知り合いは、轢(ひ)こうとして轢いた訳ではない。
当然のことながら、ハクビシンが飛び出して来たのを認識した時には、ハクビシンを轢かないようにハンドル操作やブレーキ操作に努めたのである。
しかしながら、どれだけ努めても間に合わなかったのだ。
人事を尽くしても避けられないのだから、それは仕方がないのである。
2022年11月8日火曜日
追憶 3683
感情的になると視野が狭まる。
年配の女性は、ハクビシンのことが可哀想で仕方なかったのである。
確かに、瀕死(ひんし)の状態のハクビシンは可哀想である。
しかしながら、それは避けることが出来ないこの世界の決定事項なのである。
2022年11月7日月曜日
追憶 3682
牛や豚や鳥や魚などの動物の肉を食べているのに、動物の死を受け入れられないのは矛盾(むじゅん)しているのである。
残念ながら、無駄な死というものは存在しない。
人間が食することがなくても、他の動植物や微生物の糧(かて)となるからである。
人間が食べられないものは他の動物が食べるし、他の動物が食べられないものは昆虫が食べる。
昆虫が食べられないものは微生物が食べるし、微生物が食べられないものは植物が食べるのである。
何一つとして無駄になるものはないのだ。
2022年11月6日日曜日
追憶 3681
ハクビシンの死を可哀想に思うのは理解することが出来るが、それで不平不満や嘆(なげ)きを吐いて“腐る”ことには何の意味も価値もないのである。
感情的に対応すれば、自分自身の矛盾(むじゅん)にも気が付くことが出来ないだろう。
これは、完全な推測(すいそく)であるが、恐らくは、年配の女性は普段から肉を食べているだろう。
2022年11月5日土曜日
追憶 3680
目の前の事象は、それがどのようなものであれ最善である。
しかしながら、未熟である人間には、そのことを理解することが出来ない。
事象に対して感情的に対応するのであれば、そこから得られるはずであった学びは損なわれてしまうのである。
年配の女性にとって、ハクビシンの死は価値を持たなかったのだ。
それは、彼女が事象に対して感情的に対応し、そこから得られるはずの学びを損なってしまったからである。
学びを損なえば、成長することは出来ないのである。
2022年11月4日金曜日
追憶 3679
ハクビシンは飛び出さなければならなかったし、知り合いは避けきれずに轢(ひ)かなければならなかった。
そして、年配の女性はそれを目撃しなければならなかったし、知り合いは責められなければならなかった。
知り合いは瀕死(ひんし)のハクビシンを草むらに運ばなければならなかったし、ハクビシンは(恐らく)死ななければならなかった。
知り合いはその場を立ち去らなければならなかったし、年配の女性はその場に残されなければならなかったのである。
2022年11月3日木曜日
追憶 3678
年齢の女性には、そのことが分からなかったのであろう。
人生には、思い通りにならないことしかないし、過去を取り戻すことは出来ないのである。
起こったことは仕方のないことだ。
それが気に入らないからといって駄々(だだ)を捏(こ)ねても仕方がないのである。
2022年11月2日水曜日
追憶 3677
あの状況では、知り合いは突然飛び出して来たハクビシンを避けることは出来なかった。
瀕死(ひんし)のハクビシンを助けることも出来なかったのである。
知り合いに出来ることは、ハクビシンを草むらに移動し、命が尽きるのを待つくらいのものである。
それ以外には何も出来なかったのだ。
2022年11月1日火曜日
追憶 3676
年配の女性は、ある意味では、純粋な心の持ち主だったのであろう。
しかしながら、目の前の事象や自らの感情しか見えていないのである。
それでは、偏見(へんけん)や誤解は増すばかりであるだろう。
冷静に、目の前の事象や自らの感情を観察し、その意味と価値を理解するように努めるのであれば、より良く対応することが出来たのである。
2022年10月31日月曜日
追憶 3675
知り合いは自責の念に心を痛めながら、助かるはずもないハクビシンを近くの草むらに運ぶことしか出来なかった。
年配の女性は知り合いを罵倒(ばとう)していたが、その場を離れるしかなかったそうである。
年配の女性が、瀕死のハクビシンに心を痛め、知り合いを責めた気持ちは理解することが出来る。
2022年10月30日日曜日
追憶 3674
呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす知り合いの前で、年配の女性が倒れているハクビシンに駆け寄り、「可哀想に」などと連呼しながら知り合いに詰め寄ったのである。
ハクビシンに瀕死(ひんし)の怪我を負わせたのは知り合いである。
それは確実な事実だ。
知り合いは、年配の女性に責められる前に自分自身を責めている。
2022年10月29日土曜日
追憶 3673
状態から見て命が尽きるのは時間の問題で、知り合いには手の施(ほどこ)しようがなかった。
すると、早朝にもかかわらずにけたたましくクラクションが鳴った。
驚いて振り返ると、近くに停まっている車がクラクションを鳴らしているようであった。
そして、車からは年配の女性が降りて来た。
2022年10月28日金曜日
追憶 3672
先入観は危険な偏見である。
先入観に従うと、騙(だま)されてしまうのである。
例えば、この間、知り合いが早朝に車を運転していると、急にハクビシンが飛び出してきたそうだ。
知り合いは避けることが出来ずにハクビシンと接触してしまった。
車から降りて確認すると、ハクビシンには辛うじて息があったが、瀕死(ひんし)の状態であったようである。
2022年10月27日木曜日
追憶 3671
それは、日本も同じことである。
金持ちの隣に貧しい暮らしがある。
日本にも、恵まれない子どもがたくさんいる。
アフリカの恵まれない子ども達の“宣伝”によって、先入観が植え付けられているが、確認することが難しいために、それを真実だと思ってしまうのである。
2022年10月26日水曜日
追憶 3670
金持ちにも人格者や野蛮な人はいるし、貧しい人にも野蛮な人や人格者はいるのである。
アフリカ大陸には貧しい人達がいる一方で、金持ちもいるのである。
アフリカ大陸には貧しい国もあり、豊かな国もあるだろう。
どのような国にも、貧しい地方と豊かな地方があるのである。
2022年10月25日火曜日
追憶 3669
実際には分からないが、がりがりに痩せた子どもは一部の特殊な事例であるだろう。
一部であっても、存在することは事実である。
しかしながら、先入観で見るとそれが平均的や多数に思えてしまうのだ。
例えば、金持ちは人格者だとか、貧しい人は野蛮(やばん)だというのも先入観に過ぎない。
2022年10月24日月曜日
追憶 3668
わたし達は、ガリガリに痩せた子どもの写真を見せられて、それが全体的なものと思い込んでいるだけなのではないだろうか?
アフリカ=(イコール)貧しい国であり、どこの地域も飢えた子ども達で溢れかえっているというような印象を植え付けられていただけではないだろうか?
2022年10月23日日曜日
追憶 3667
広告塔のタレントには他の収入源があり、ボランティアでアフリカの恵まれない子ども達に対する献金の広告塔を担っているのかも知れないが、豪華な家具や美術品に囲まれた贅沢な暮らしを好む者がボランティアで働くことは考え難いだろう。
アフリカの恵まれない子ども達に対する献金は、貧困ビジネスであると言えるのではないだろうか?
2022年10月22日土曜日
追憶 3666
小学生の頃のわたしが真面目に授業を受けていなかったからかも知れないが、わたしの思い込みと実際には、大きな違いがあったのである。
わたし達は、アフリカの恵まれない子ども達のための献金をお願いされている。
しかしながら、広告塔となっているタレントは、豪華な家具や美術品に囲まれた一般的とは言えない贅沢な暮らしをしている。
2022年10月21日金曜日
追憶 3665
例えば、ベルリンの壁は、ドイツ国内を西と東に分断するように立てられた壁のことではない。
当時、西ドイツと東ドイツで対立していたが、ベルリン市内の西側と東側を分けるために作られた壁である。
ドイツの国土からすれば、とても小さな壁である。
西ドイツと東ドイツを分断する象徴(しょうちょう)であったために、わたしの中では、国土を分断するように長い壁が築かれたのだと思い込んでいた。
2022年10月20日木曜日
追憶 3664
実際に現地に行って見聞きした訳ではないから、実情というものは分からない。
本当に飢(う)えているかも知れないし、一部だけを切り取っているだけかも知れないのである。
大抵の人は、アフリカのどの国の、どの地方の、どのような人に献金(けんきん)が渡っているかを知らない。
わたし達は、アフリカの恵まれない子ども達としか聞いていないのである。
2022年10月19日水曜日
追憶 3663
子ども達が恵まれているのであれば、献金は必要ない。
それでは困る連中がいる。
それは、恵まれない子ども達が存在することによって利益を得る人達である。
残念ながら、そのような連中が存在するのである。
政府が誠実に仕事をしていれば、子ども達が飢(う)えることなど有り得ないだろう。
2022年10月18日火曜日
追憶 3662
どれだけ外部の人間が援助したとしても、その国の政府に助ける気がなければ助からないのである。
政府が誠実な政治をしているのであれば、外部からの援助などなくても、子ども達は恵まれているのである。
しかしながら、子ども達が恵まれることはない。
残念ながら、子ども達が恵まれては困る連中がいるのように思えて仕方がないのである。
2022年10月17日月曜日
追憶 3661
例えば、ボランティア団体が誠実に仕事をしたとしても、その国の政府が誠実に仕事をするとは限らない。
なぜなら、恵まれない子ども達のための献金は、巨大な不労所得だからである。
子ども達がいつまで経っても恵まれない根本的な理由は政治である。
2022年10月16日日曜日
追憶 3660
ボランティア精神は、金儲(かねもう)けとは真逆の立ち位置である。
ボランティア精神では金儲けは出来ない。
金儲けに長けていなければ、組織の運営を任されることはないのである。
そのため、純粋なボランティア精神を持つ善良な人が組織の上層部として仕事をすることは出来ないのである。
2022年10月15日土曜日
追憶 3659
なぜなら、そこは金の集まる場所だからである。
金の集まる場所では、金への信仰心(しんこうしん)が強くなければ生き残れないのである。
金への信仰、執着(しゅうちゃく)、熱意、狡猾(こうかつ)さなどが強くなければならないのだ。
ボランティア精神では、金の世界では生き残れないのである。
2022年10月14日金曜日
追憶 3658
ボランティア精神で働く人たちは、最低限の生活費や活動費でも文句は言わないだろう。
それは、上層部にとっては好都合である。
なぜなら、自分たちの取り分が増えるからだ。
世界的なボランティア団体の上層部が、ボランティア精神で働くだろうか?
残念ながら、そのような人は上層部にはなれないのである。
2022年10月13日木曜日
追憶 3657
某団体に携わる人たちの生活費は、献金から捻出されるはずである。
現場で作業する人たちの生活費や活動費も、献金から捻出されるだろう。
しかしながら、現場で働く多くの人は、ボランティア精神によって働く人たちである。
そのような人たちは金のためには働かないだろう。
そのため、恐らくは、そのような人たちには、最低限の生活費や活動費が支給されるだけであるだろう。
2022年10月12日水曜日
追憶 3656
アフリカのいつまで経っても恵まれない子ども達のための献金は、金を上手く使えない一例だろう。
多額の献金を扱う某団体の上層部は、金によって腐っているに違いない。
初めは、恵まれない子ども達を助けようという純粋な気持ちによって某団体に携(たずさ)わったのであろうが、恵まれない子ども達がいつまでも助からないということは腐ってしまったということなのである。
2022年10月11日火曜日
追憶 3655
献金すること自体は良いことである。
金を眠らせておくよりは、有効活用した方が良いに決まっている。
金も上手く使えば誰かの一助(いちじょ)と成り得る。
金も上手く使えば、問題を解決する助けとなるのだ。
しかしながら、上手く使えなければ、誰かを苦しめる枷(かせ)となってしまうのである。
2022年10月10日月曜日
追憶 3654
全世界から相当な額の献金があるはずだが、何十年経ってもアフリカの子供たちは恵まれていないのである。
アフリカの子供たちが救われないのは、世界中からの多額の献金が、彼等のために使われていないからであろう。
世界中からの多額の献金が正しく使われているのであれば、何十年も同じ状況が続いているのは可笑しなことなのである。
2022年10月9日日曜日
追憶 3653
金持ちが金持ちであるのは、盲目(もうもく)な信者のおかげである。
自分自身で考えることの出来ない哀(あわ)れな消費者がいなければ、金持ちは金持ちではいられないのである。
例えば、某慈善団体は、何十年も恵まれないアフリカの子供たちに対する支援を呼び掛け続けている。
2022年10月8日土曜日
追憶 3652
イエスは、金を信仰(しんこう)する人達によって処刑されることになる。
なぜなら、イエスは宗教や商売や政治にとって邪魔な存在であったからだ。
金を信仰する人にとって、“神”を信仰する人は障害である。
なぜなら、金を信仰する盲目(もうもく)な信者を増やすことが出来ないからである。
2022年10月7日金曜日
追憶 3651
“神”への信仰(しんこう)のある人からすれば、イエスの言動は当たり前のことであるが、金を信仰している人には理解することが出来ない言動であるだろう。
このような“正論”の積み重ねが、金を信仰する人達に恨(うら)みを募(つの)らせ、イエスを処刑するという状況へと繋がるのである。
2022年10月6日木曜日
追憶 3650
そして、イエスはそこで売り買いしていた多くの人に言った。
「こう書いてある。「わたしの家はすべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。」ところがあなた達はそれを強盗の巣にしてしまった。」
これは、“神”を使って不当な利益を貪(むさぼ)る人達の下劣(げれつ)さを弾劾(だんがい)する言葉と行為である。
2022年10月5日水曜日
追憶 3649
金の集まるところには、“神”への信仰(しんこう)は存在することが出来ない。
なぜなら、“神”への信仰のあるところには、多くの金は集まらないからである。
イエスがエルサレムの神殿に入った時、そこには多数の商人や両替人がいて商売をしていた。
それを見たイエスは、そこにいた多くの客や商人達を追い出し、商品の棚や両替の台をひっくり返した。
2022年10月4日火曜日
追憶 3648
その慈善団体が有名で大規模である程、慈善活動からは遠ざかる。
なぜなら、有名で大規模である程に金が集まるからだ。
金が集まるところには金への信仰(しんこう)と信者がいる。
初めはいないかも知れないが、金の集まるところには必ず金への信仰が生まれ、信者が生じるか集まるのである。
金への信仰と信者がいなければ、金は集まらないのである。
2022年10月3日月曜日
追憶 3647
もしも、この金持ちが“神”を信仰し、思いやりを以(もっ)て人助けをするつもりであったのならば、イエスの言葉を受けて、悲しみながら立ち去ることなど有り得ないのである。
同じことを某(ぼう)慈善団体の著名人が言われたら、同じように立ち去るだろう。
それは、この著名人が偽善者であり、慈善活動が金儲けの道具に過ぎないからである。
2022年10月2日日曜日
追憶 3646
その言葉を聞いた金持ちは、悲しみながら立ち去ったのである。
それは、金持ちがたくさんの財産を所有していたからであろう。
この金持ちは、偽善者である。
偽善者であるから、持ち物を売り払い、貧しい人達に施しなさいと言われた時に悲しみながら去るのである。
2022年10月1日土曜日
追憶 3645
金儲けのために慈善活動をしているのである。
決して、貧しい人達のためではない。
イエスが金持ちに「どうすればの永遠の命が得られますか?」と聞かれた時に答えたのは、「行って持ち物を売り払い、貧しい人達に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに付き従いなさい」という言葉であった。
2022年9月30日金曜日
追憶 3644
その著名人が慈善団体の仕事をしているのは、貧しくて困っている人達のためではない。
もしも、そのような崇高(すうこう)な理念があるのならば、私財を投げ売ってもそうしているはずである。
しかしながら、その著名人は、自分は贅沢な暮らしをしながら、貧困ビジネスをしているのである。
2022年9月29日木曜日
追憶 3643
金を手懐(てなず)けるためには、冷徹(れいてつ)でありながら、冷酷でなければならないのだ。
思いやりを以(もっ)て慈善活動に専念するのであれば、金を得ることなど出来ないのである。
有名な慈善団体の広報の著名人が、絢爛豪華(けんらんごうか)な家具に囲まれた生活をしながら寄付を呼び掛けているのは滑稽(こっけい)である。
2022年9月28日水曜日
追憶 3642
人格者は、世の中のいう成功者にはなれない。
なぜなら、人格者は、奪い合うことも、集めることも、偽善者でもないからである。
金を手懐(てなず)けるためには、人格を育んではならないのだ。
奪い合うことや、集めることや、偽善を躊躇(ちゅうちょ)する者に金は懐(なつ)かない。
2022年9月27日火曜日
追憶 3641
金への信仰心を絶やさずにいれば、金はとどまるだろう。
金を集めることに成功した者に風格は求められない。
金持ちだからといって、人格が備わる訳ではないのである。
寧(むし)ろ、人格を育まない方が良いだろう。
残念ながら、人格を育んでしまうと、金への信仰心は薄れてしまうのである。
2022年9月26日月曜日
追憶 3640
世の中には、成功者と呼ばれる若者もいる。
世の中が認める成功者とは、金を集めることに成功した人のことである。
金を集めることは簡単なことではないが、風格が備わらなくても成功することが出来る。
それは、金は柔軟なものであり、誰にでも懐(なつ)くからである。
2022年9月25日日曜日
追憶 3639
若い魂がどれだけ自分を高く大きく見せようとも、風格には程遠い。
例えば、若者が高価な服装や装飾で身を飾り、偉そうな言葉を吐いたとしても、風格を身に纏(まと)うことは出来ない。
それは、若いからである。
若さと風格を同時に身に付けることは出来ない。
どのように素性の良い樹木であったとしても、若いというだけで風格は得られないのである。
2022年9月24日土曜日
追憶 3638
それは、老木である程に風格が備わるからだ。
残念ながら、若木には風格というものは備わらない。
若木は老木に比べ、根張りも幹も肌も枝振りも樹形も、すべてが貧弱なのである。
地位や名声や財産に執着(しゅうちゃく)する欲深く傲慢(ごうまん)な若い魂(意識)には、残念ながら風格は備わらないのである。
2022年9月23日金曜日
追憶 3637
若者は、老いることを嫌う。
老人の中にも老いることを嫌う人は多い。
しかしながら、魂(意識)の視点から見れば、老いることは喜ぶべきことなのである。
例えば、樹木は老いる程に価値が認められる。
樹木は、若木よりも老木の方が魅力的なのである。
2022年9月22日木曜日
追憶 3636
ただ、若い時には理解することの出来ない価値というものがあるのだ。
それは、様々な経験を積んでからでなければ、理解することが出来ない価値なのである。
若者には理解することが出来ない価値も、老人には理解することが出来る。
それは、老人の特権である。
2022年9月21日水曜日
追憶 3635
そのため、年老いた立派な魂のように見えるだろう。
多くの人は、そのような姿と生き方に憧れる。
若い魂(意識)には、格好良く見えるのである。
しかしながら、魂(意識)の視点で見ると、そのようなものに価値を見出せるのは若いからだと言わざるを得ない。
若いことが悪いということではない。
2022年9月20日火曜日
追憶 3634
多くの若者が、人生の目的や死後のことを気に掛けないように、若い魂(意識)も“神”への信仰を軽んじる。
若い魂には、金への信仰の方が魅力的に思えるのだ。
世の中の地位や名声や財産を喜んでいる人達は、若い魂(意識)なのである。
偉そうにしているから堂々として、貫禄(かんろく)が備わっているように見える。
2022年9月19日月曜日
追憶 3633
“神”の国に入るためには、“神”への信仰心と、清い人生と、徳が必要である。
これ等の条件を満たすことが出来なければ、“神”の国に入ることは出来ない。
若い魂(意識)は、若者のように麓(ふもと)の生活を好む。
そこには、快楽や欲望を満たす贅沢(ぜいたく)で優美な暮らしが期待出来るからだ。
2022年9月18日日曜日
追憶 3632
麓(ふもと)で価値のあるものは、頂(いただき)では価値がない。
金への信仰心がどれだけ大きくても、“神”の国には入れないのである。
金持ちは、天国への切符が金では買えないことを知らない。
どれだけ金を積んでも、天国へは辿り着けないのである。
2022年9月17日土曜日
追憶 3631
価値のないものを大量に持っていたとしても仕方がないのである。
麓(ふもと)で威張(いば)り散らしている人も、頂(いただき)では何も出来ない。
麓では思い通りに生きていた人程、頂では思い通りに出来ないのである。
それは、価値が反転しているからだ。
2022年9月16日金曜日
追憶 3630
どれだけの金を持っていたとしても、頂(いただき)では持ち腐れである。
金への信仰心(しんこうしん)や傲慢(ごうまん)さ、社会的な地位や財産をどれだけ持っていたとしても無駄である。
そのようなものは、頂を支配する理(ことわり)の中では価値のないものなのだ。
2022年9月15日木曜日
追憶 3629
なぜなら、謙虚(けんきょ)でなければ、頂(いただき)に辿り着くことは出来ないからである。
頂に挑戦している時に傲慢(ごうまん)に振る舞うことは命取りであるだろう。
麓(ふもと)ならば金の力によって傲慢に振る舞うことも許される。
しかしながら、頂では、金の力など通用しない。
2022年9月14日水曜日
追憶 3628
“神”を信仰(しんこう)している人は、意識が成長している。
そのような人は、麓(ふもと)の便利な生活を捨てて、頂(いただき)に挑戦しているのである。
頂に挑戦している者が、傲慢(ごうまん)に振る舞うだろうか?
何かに対して真摯(しんし)に向き合っている人は、謙虚(けんきょ)なのである。
2022年9月13日火曜日
追憶 3627
意識が幼い程に傲慢(ごうまん)である。
意識が幼い程に偉そうに振る舞うのだ。
意識が高まれば金などに執着(しゅうちゃく)することはない。
金を持っていても、金に執着しない人はいる。
そのような人は、金を持っていたとしても、“神”を信仰(しんこう)しているのである。
2022年9月12日月曜日
追憶 3626
金に汚い人は、傲慢(ごうまん)である。
金に汚い人は、偉そうに振る舞っている。
幼い子どもが我儘(わがまま)であることは仕方のないことだろう。
なぜなら、幼いからこそ傲慢であり、偉そうに振る舞ってしまうのである。
それは、仕方のないことなのだ。
2022年9月11日日曜日
追憶 3625
成長した暁(あかつき)には、金という幼い子どもの玩具(がんぐ)を手放さなければならないのである。
多くの人は、幾つになっても金への執着(しゅうちゃく)が激しい。
世の中には、金に汚い人が多いのである。
それは、それだけ幼い意識の段階を生きている人が多いことを意味しているのである。
2022年9月10日土曜日
追憶 3624
そのため、大抵の人が金を通じて学んでいる。
しかしながら、大抵の人が金を通じて学んでいるからといって、金が良いものであるとは言えない。
なぜなら、金は幼い子どもの玩具(がんぐ)であるからだ。
わたし達は、いつまでも幼い子どもの玩具で遊んでいてはならないのである。
2022年9月9日金曜日
追憶 3623
“神”は、人には金が必要だとして与えたのである。
それは、金がなければ学びが足りなかったからであろう。
金は、“神”から見ると幼い子どもの玩具(がんぐ)である。
幼い子どもである人間は、金がなければ学びを得ることが出来ないのだ。
2022年9月8日木曜日
追憶 3622
子どもは、親には理解することが出来ないものに魅力や価値を感じる。
親は、子どもが感じる魅力や価値に対して、魅力や価値を感じることはないだろう。
それは、幼稚(ようち)に思えるからである。
“神”は金を幼稚な仕組みだと思っているかも知れない。
なぜなら、“神”には金など必要ないからだ。
2022年9月7日水曜日
追憶 3621
親が子どもに作った玩具(がんぐ)を欲しがるだろうか?
残念ながら、親が子ども用に作った玩具を欲しがることはないだろう。
それが普通である。
なぜなら、親である自分には、その魅力を理解することが出来ないからだ。
2022年9月6日火曜日
追憶 3620
目に見えない存在が金を必要としないことは誰でも分かることだ。
しかしながら、偶像を見せられるとその判断が鈍(にぶ)るのである。
残念ながら、“神”は金を必要とはしない。
なぜなら、金は人間にとって必要な制度として作ったものであるからだ。
2022年9月5日月曜日
追憶 3619
「神様は皆の心の中にいて、無償(むしょう)で助けてくれていますよ」と言えば、金を出す人はいないだろう。
偶像を設置することで“神”を具体化(物質的な存在に蔑(おとし)める)する。
物質には物質ということである。
「神様はこのような形でここいにいますよ。救われるためにはお布施や物を買わなければなりません」と言えば、お金を出す人はいるのである。
2022年9月4日日曜日
追憶 3618
発注した宗教団体も、発注された製造者も、金のために像を作る。
金を信仰(しんこう)している宗教には、必ず偶像が存在しているのだ。
それは、木や鉄や石で作られた像かも知れないし、人間を偶像にしているかも知らない。
偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)をするのは、金を集め易いからである。
2022年9月3日土曜日
追憶 3617
それは、価値のないものに価値を見い出そうとした結果である。
始まりが歪めば途中も歪み、最後まで歪むのである。
木や石や鉄から作られた像に何の価値があるのだろうか?
それは、人が金を得るために作り出した像なのである。
2022年9月2日金曜日
追憶 3616
人間は、価値のないものに価値を見出すのが好きである。
例えば、偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)である。
現在の宗教は、金を信仰(しんこう)する集団である。
“神”を信仰している宗教など存在しないだろう。
金を信仰するために、偶像を崇拝することになる。
2022年9月1日木曜日
追憶 3615
もしも金の方が価値が高いのであれば、交換することはないだろう。
金で買えるものは、金以上の価値がある。
そのことを覚えておかなければならない。
金を信仰(しんこう)する人達は、金に価値があると信じている。
それは、金に価値があると思い込まされたからである。
2022年8月31日水曜日
追憶 3614
しかしながら、多くの人はそのことに気が付いてはいないだろう。
多くの人は、金に価値があると信じているし、金額が高いもの程、価値が高いと信じているのである。
しかしながら、最も金額の低いものでも、金よりは価値があるのだ。
金よりも価値があるから、金と交換するのである。
2022年8月30日火曜日
追憶 3613
金の方が価値があるのであれば、誰も何かを買わないのである。
金を支払って手に入れられるものは、金よりも価値のあるものだ。
値段の問題ではない。
大金を叩(はた)いてでも手に入れられるものは、金よりも価値がある。
わたし達は、金よりも価値のあるものに囲まれているのである。
2022年8月29日月曜日
追憶 3612
どのような守銭奴(しゅせんど)も、金は使わなければならないのだ。
それは、この世には、金よりも価値のあるもので溢れているからである。
値段が付いている物は、金よりも価値のあるものである。
金よりも価値があるから、金を手放してまで手に入れるのである。
2022年8月28日日曜日
追憶 3611
大金を抱えて飢(う)え死にする人がいるだろうか?
大金を抱えたままで死ぬことは愚かなことである。
命が助かるのであれば、あなたは全財産を擲(なげう)つだろう。
金の方が価値があるのであれば、金を使うことはない。
しかしながら、金を貯えるだけの人はいない。
2022年8月27日土曜日
追憶 3610
食べるものが足りなければ、大金をはたいてでも食べるものを手に入れようとするだろう。
それが、当たり前である。
しかしながら、多くの人は金や欲に目が眩(くら)んで、その当たり前を見失ってしまうのである。
金と食料なら、食料の方が本質的には価値があるだろう。
2022年8月26日金曜日
追憶 3609
経済的な成長には限界がある。
自然界から搾取(さくしゅ)し終われば、それが限界である。
経済的に成長する程に、自然界は縮小する。
自然界が縮小すれば、経済的な成長は望めない。
例えば、食べるものが足りないのに、金に価値を見出す人はいないだろう。
2022年8月25日木曜日
追憶 3608
資本主義が自然を破壊する。
多くの人が金のために生きれば、それだけ自然界から搾取(さくしゅ)することになる。
多くの人が贅沢(ぜいたく)な暮らしをすれば、自然環境は豊かさを失う。
搾取するのだから、自然界は乏(とぼ)しくなってしまうのである。
2022年8月24日水曜日
追憶 3607
しかしながら、多くの人は成功者を目指している。
多くの人にとっては、目先の利益や安心の方が重要なのである。
植物や他の動物が搾取(さくしゅ)され、蹂躙(じゅうりん)されたとしても、自分や自分の大切に思う人の目先の利益や安心を守ることに重きを置くのだ。
目先の利益や安心、そして、成功を追い求める人が多い程に、自然界は疲弊(ひへい)していく。
2022年8月23日火曜日
追憶 3606
自然界から多く搾取(さくしゅ)した者が成功者である。
多くの植物や他の動物を蹂躙(じゅうりん)した者が成功者なのである。
植物や他の動物と共存共栄しようと生きる者は、負け組とか変わり者とか世捨て人などと呼ばれ蔑(さげす)まれる。
人の世は歪んでいるのである。
2022年8月22日月曜日
追憶 3605
対等だと思っている相手から搾取(さくしゅ)したり、蹂躙(じゅうりん)することはないだろう。
植物や他の動物と対等だと思っているのであれば、共存共栄するように努めるのである。
しかしながら、パフォーマンスは抜きにして、実際は金儲(かねもう)けが先行しているだろう。
なぜなら、金儲けをしなければ、競争に勝たなければ、会社や仕事が成り立たないからである。
2022年8月21日日曜日
追憶 3604
多くの人間は、植物や他の動物よりも自分が上等な存在だと思っているだろう。
成功者である程に、そのような価値観が強いのではないだろうか?
自分(人間)が、植物や他の動物よりも上等だと思わなければ、そこから搾取(さくしゅ)することはないのである。
自分よりも下等な存在だと思っているから、蹂躙(じゅうりん)することが出来るのである。
2022年8月20日土曜日
追憶 3603
幼く未熟な者程、大声を発し、我儘(わがまま)である。
人の世は、そのような者が幅を利かせている。
声が大きく、我儘であり、欲深く、利己的な者が成功者である。
成功者は、自分を上等だと思うだろう。
もちろん、それは心の中の秘め事である。
2022年8月19日金曜日
追憶 3602
しかしながら、多くの人間はそのことを知らない。
自分が植物よりも下等な生き方であることを知らないのである。
そのため、人間は我が物顔で自然環境を破壊する。
それは、自分が上等な生き方で、植物が下等な生き方だと思い込んでいるからであるだろう。
もしくは、そのような認識すらないのかも知れない。
2022年8月18日木曜日
追憶 3601
もちろん、互いに支え合うことで自然界は成り立っている。
植物にも動物は必要であるだろうが、上等や下等という言葉を用いたのは、動物というよりは人間が傲慢(ごうまん)だからである。
人間は、自分よりも下等だと思い込んでいる植物に寄生しているのである。
2022年8月17日水曜日
追憶 3600
動物の方が進化しているというのが、多くの人の考えであるだろう。
それは、動物の方が活動的であり、複雑な肉体構造や文化を持ち、植物を利用する力を持っているからである。
しかしながら、上等だと思える動物は、植物なしでは生きていくことが出来ない。
下等だと思える植物こそが、すべての動物を養っているのである。
2022年8月16日火曜日
追憶 3599
植物は、動物に利用される立場でありながら、動物を支配している。
恐らく、植物は動物がいなくても生存することが可能であるだろう。
しかしながら、動物は植物がいなければ生存することが不可能である。
どちらが上等な存在か分かるだろう。
2022年8月15日月曜日
追憶 3598
植物は、食べられるために進化している。
植物は、食べられることで繁栄しているのである。
植物は、動物のように素早く行動することが出来ない。
その性質上、植物は動物に利用される立場である。
しかしながら、植物の助けがなければ、動物は生きていくことすら出来ない。
2022年8月14日日曜日
追憶 3597
もちろん、成長とは、多くの人が考えるような偉そうな大人に成ることではない。
多くの人がそうしているように、地位や名声や財産を背負って、傲慢(ごうまん)に、大きく膨(ふく)れることでもない。
成長とは、与えて小さく成ることである。
植物のように、困っている人に自分自身を与えられることが成長なのである。
2022年8月13日土曜日
追憶 3596
どれだけ金があっても、情報や生活の進歩は買えないのである。
昭和の金持ちがどれだけ金を払っても買えなかった情報や生活を、令和のわたし達は大金を注がずとも手に入れているのである。
個人的には、常に現在が最も豊かだと思える。
それは、個人的な経済事情のことではない。
常に現在が、自分自身が最も成長している状態だと思えるからだ。
2022年8月12日金曜日
追憶 3595
しかしながら、今日(こんにち)のわたし達は、高度経済成長期やバブル期とは比べ物にならない便利な世の中を生きている。
情報も生活も、比べ物にならない程に便利である。
それは、豊かさだと思える。
今の暮らしを捨てて、高度経済成長期やバブル期の暮らしをしたいか?と言われるとそうは思えない。
2022年8月11日木曜日
追憶 3594
現在は、個人的には日本は最も豊かな暮らしをしていると思っている。
賛否両論あるだろうが、子どもの頃に比べても何不自由ないと思える。
昭和後期が良かったというのは理解することが出来る。
高度経済成長期やバブル期を賞賛(しょうさん)する人は多い。
2022年8月10日水曜日
追憶 3593
これは、武士の価値観である。
しかしながら、日本人には理解することが出来る価値観であるだろう。
わたしは武士ではないが、“襤褸(ぼろ)を着ても心は錦(にしき)”という言葉が好きである。
見た目よりも中身が大切だと思うのである。
2022年8月9日火曜日
追憶 3592
“武士は食わねど高楊枝”という言葉がある。
これは、例え満足に食べられなくても、満腹であるかのように爪楊枝を咥(くわ)えている姿を世間に見せるという意味である。
痩せ我慢や見栄を張るという意味を含(ふく)んだ言葉だ。
これは、例え生活は貧しくても、心は豊かであるという武士の心意気である。
2022年8月8日月曜日
追憶 3591
与えていれば、豊かにはなれないのだ。
それは、与える程に貯えが減るからである。
豊かになる程に、人は与えることを惜しむようになる。
昔は、貧しくて助け合わなければ生きていけなかった。
その頃、人は心を豊かにしたのである。
しかしながら、今日(こんにち)は、大抵のことは自己完結することが出来る豊かな世の中である。
世の中や生活が豊かになるに連れて、心は貧しくなっていったのである。
2022年8月7日日曜日
追憶 3590
自己完結することが出来ることを、わざわざ他者に頼ることはないだろう。
昔は皆が貧しかったから、分け合わなければ生きていくことが出来なかったのであろう。
その名残がお裾分(おすそわ)け文化である。
豊かである方が分け合うように思うかも知れないが、豊かな人は貯えるから豊かなのである。
与えれば豊かさからは遠ざかってしまうだろう。
2022年8月6日土曜日
追憶 3589
田舎に住む人達の間には、お裾分(すそわ)けの文化が色濃く残っている。
もちろん、都会でも大切な人に贈り物をするから、お裾分け文化が途絶えた訳ではない。
しかしながら、経済的に豊かになり、ある意味で自立することが出来るようになると、他者との関係性は薄れていく。
なぜなら、助けてもらわなくても、自己完結することが出来るからだ。
2022年8月5日金曜日
追憶 3588
所有物に対する執着(しゅうちゃく)が少ないから、金持ちには成れないのである。
金持ちに成るためには、所有物に対する執着が大きくなければならないのだ。
欲深さが、金儲けに対する情熱を与える。
欲のない者には、そのような熱意もないのである。
2022年8月4日木曜日
追憶 3587
それは、相手のことを思った行為なのである。
わたしも、上げられる物があれば、出来る限り誰かにもらってもらう。
その行為に見返りなど求めない。
食べて欲しいとか、喜んでもらいたい、とかその程度の気持ちである。
貧しいというのは語弊(ごへい)があるが、経済や金を信仰していない金持ちでない人程、見返りを求めずに与えるように思える。
2022年8月3日水曜日
追憶 3586
一部の未熟な人間達の下らない争いが歴史として教えられているために、日本はピラミッド型の生態系であるように思えるが、大半の日本人は互いに助け合い、支え合って生きていたに違いない。
わたしは田舎に住んでいるが、誰かが勝手に野菜や果物などを置いていく。
それは、見返りを求めての行為ではない。
2022年8月2日火曜日
追憶 3585
貧しい時代には、互いに助け合い、支え合わなければ生きていけなかった。
日本は経済的には貧しい国であった。
日本は、ピラミッド型の生態系ではなかったと思える。
大名は天下を取るために争っていたが、それは、一部の人間の生き方であるだろう。
2022年8月1日月曜日
追憶 3584
それは、戦争ですべてを無くした人達にとっては、恵みを与えてくれる偉大な神に見えただろう。
しかしながら、与えられた経済と金は、“彼等”の大好きな“一番”を取らなければならない世界観であった。
例えば、日本には本来、そのような世界観はなかっただろう。
2022年7月31日日曜日
追憶 3583
結局、二発の原爆を日本に落として武士道をへし折り、逆らう者がいなくなって“一番”を取った“彼等"の統治によって大戦は終わったが、世界には大きな損害が与えられた。
しかしながら、多くの人は、それを平和と信じて喜んだ。
そして、多くの人には余り馴染(なじ)みのなかった経済と金という新たな神が与えられ、多くの人はそれを信仰した。
2022年7月30日土曜日
追憶 3582
彼等は黒人の国を襲い、すべてを奪った。
遊びで彼等をハンティングしたり、奴隷(どれい)にして売り捌(さば)いた。
それは、彼等が有色人種を人と思っていなかったからであるだろう。
その思想が、後の大戦に繋がっていくのである。
“一番”を取るために内輪で争ったせいで、人類は立ち行かなくなる可能性もあったのだ。
2022年7月29日金曜日
追憶 3581
生態系を三角形と考えている人は、悪魔を敵と見做(みな)して争う。
人間は、自分達の生活や金儲けに都合の悪い生き物を絶滅させた過去がある。
強欲な白人達は、人種までも絶滅させたのである。
それは、“一番”を取るためである。
彼等は、人間同士でさえ内輪で争ったのである。
2022年7月28日木曜日
追憶 3580
悪魔は、天使と同じように理(ことわり)に従(したが)っている。
悪魔という存在は、自然である。
悪魔は、風や雨や動植物と何ら変わりがない。
悪魔は、純粋な存在なのである。
悪魔の性質はネガティブであり、災いである。
思考や感情や都合に捕らわれて生きる人間には、悪魔の性質を悪いものだと感じてしまうのだ。
2022年7月27日水曜日
追憶 3579
宗教は、人間よりも悪魔の方が下劣(げれつ)であるかのように教える。
わたしは、過去に何度も悪魔に会ったことがあるが、彼等には悪意や利己的な企(たくら)みというものが無かった。
しかしながら、人間はこれ等を多く抱えている。
2022年7月26日火曜日
追憶 3578
傲慢(ごうまん)や強欲に満ちた愚かな人間は、悪魔よりも下劣(げれつ)である。
悪魔は、決して“神”には逆らわない。
なぜなら、彼等には美学があるからだ。
悪魔が滅びないのは、天使と協力して“神”の世界を築いているからである。
天使と悪魔が敵対しているように教えたのは、宗教である。
宗教というものは、悪魔よりも下劣な愚かな人間によって作られたものなのである。
2022年7月25日月曜日
追憶 3577
同じ世界の住人が争うのであれば、その世界は滅びてしまうのである。
ファリサイ派の指導者たちは、自分達の小さな自尊心や地位や名声や財産のためにイエスを殺そうと企(たくら)んでいた。
彼等は、イエスが悪霊の頭であるベルゼブルの力で悪霊を追い出していると主張したが、彼等は、悪魔ですらしない内輪で争うという愚行(ぐこう)を実行しているのであった。
2022年7月24日日曜日
追憶 3576
世界を存続させるためには、協力しなければならない。
国でも家でも、内輪で争えば滅びてしまうのである。
ファリサイ派の指導者たちは、イエスを殺そうとしていた。
彼等は、イエスと協力する気持ちが無かったのである。
信仰の対象は違っているが、イエスもファリサイ派の指導者たちも、同じ世界の住人である。
2022年7月23日土曜日
追憶 3575
そこでイエスは彼等に言った。
“どうして悪霊が悪霊を追い出せよう。内輪で争えば、その国は成り立たない。内輪で争えば、その家は成り立たないのである。同じように悪霊が内輪もめして争えば、立ち行かず滅びてしまう。”
この言葉は、イエスが悪霊の力で悪霊を追い出していないことの証である。
2022年7月22日金曜日
追憶 3574
それは、“神”ではなく、富を信仰(しんこう)しているからである。
富を信仰しているのだから、彼等の行動は当たり前のことである。
イエスには、ファリサイ派の指導者たちの信仰の対象が、“神”ではなく富であることを知っていたのだ。
だから、彼等が自分を悪霊の仲間だと非難する気持ちが分かるのである。
2022年7月21日木曜日
追憶 3573
ファリサイ派の指導者たちは、自分たちの保身のことしか考えていない。
それは、今日(こんにち)の権力者と何も変わらないことである。
ファリサイ派の指導者たちは、信者のことや教義のことやキリストのことなどどうでも良いのである。
彼等の頭や心の中を埋め尽くしているのは、自分の地位や名声や財産のことである。
2022年7月20日水曜日
追憶 3572
イエスには、ファリサイ派の指導者たちの企(たくら)みなど手に取るように分かっていただろう。
彼等が何を求め、何を守ろうとしているのか?イエスに分からないはずがないのである。
ファリサイ派の指導者たちは、イエスをキリスト(救世主)とは認めたくないのだ。
なぜなら、イエスをキリストと認めてしまえば、自分たちの地位や名声や財産を放棄(ほうき)することだからである。
2022年7月19日火曜日
追憶 3571
それは、イエスを貶(おとし)め、群衆の信仰心と、彼等からの尊敬を取り戻すためであった。
ファリサイ派の人たちは、相手を下げることで自分を上げるという今日(こんにち)の政治家も好んで使っている情け無い手法を用いたのである。
愚者(ぐしゃ)の言動は、2000年前から何ら変わっていないということである。
2022年7月18日月曜日
追憶 3570
それは、イエスが悪霊を追い出していたからである。
驚いた群衆は、悪霊を追い出すイエスのことを、ダビデの子だと言った。
それは、敬意を込めた言葉であるだろう。
すると、それを聞いてまずいと思ったファリサイ派の人たちが、イエスは悪魔の手下だと声を上げたのである。
つまりは、「悪霊の頭、ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言ったのである。
2022年7月17日日曜日
追憶 3569
今日(こんにち)まで脈々(みゃくみゃく)と続いてきたのは、円型の生態系である。
互いに協力し、補(おぎな)い合うことがなければ、その生態系が今日まで存続することはなかったのである。
福音書の中で、イエスが悪魔の仲間と疑われる記述がある。
イエスを悪魔の仲間と疑ったのは、ユダヤ教のファリサイ派の人たちである。
2022年7月16日土曜日
追憶 3568
円型のものは、軽い力で押しても転がっていく。
それは、存続するということである。
ピラミッド型のものは、強い力で押してもその場にとどまる。
それは、存続しないということだ。
時代の流れに従(したが)って転がらなければ、存続は出来ない。
ピラミッド型の生態系では、時代の流れに従って転がることが出来ないのである。
2022年7月15日金曜日
追憶 3567
この世界では、何事も円型でなければ存続しないのである。
互いに支え合わなければ存続することはないのだ。
誰かが一番を目指して和を乱せば、誰も一番にはならないのである。
互いに支え合うための和を目指せば、誰もが一番に成る。
それは、力のバランスの取れた和なのである。
2022年7月14日木曜日
追憶 3566
ピラミッド型の生態系では、一番の生き物が滅びれば、二番の生き物が一番になる。
その繰り返しである。
それでは、生態系自体が存続しない。
互いに支え合わなければ、生態系は存続しないのである。
そのため、生態系は円型である。
2022年7月13日水曜日
追憶 3565
傲慢(ごうまん)に力を振り翳(かざ)したとしても、環境に順応することが出来なければ滅びてしまう。
本当の強さとは、生き残る力なのである。
どのように大きくて力の強い生き物も、滅びてしまえば弱いのである。
どのように小さくて力の弱い生き物も、生存すれば強いのである。
2022年7月12日火曜日
追憶 3564
世代交代は、生物の変化において最も大きなものである。
世代交代の回数の多さが、小さくて弱い生き物に与えられた特権であるだろう。
それは、変化を促(うなが)し、どのような環境にも対応することが出来る力なのである。
環境に順応することが出来なければ、どのように大きくて力の強い生き物も滅びてしまうのである。
2022年7月11日月曜日
追憶 3563
弱い立場の生き物は、変わらなければ生き残れない。
そのままでいるなら、強い生き物に蹂躙(じゅうりん)されるだけである。
弱い立場の生き物は、生存するために変わるのである。
小さくて弱い生き物は、大きくて強い生き物よりも寿命が短い。
それは、世代交代を促進(そくしん)する。
2022年7月10日日曜日
追憶 3562
強さとは、傲慢(ごうまん)のことである。
強い生き物は傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に振る舞う。
強いから、他の弱い生き物に遠慮(えんりょ)する必要がない。
強ければ、変わらなくて良いのだ。
それは、変わらなくても上手くいっているからである。
変わらなければならないのは、いつも弱い立場のものである。
2022年7月9日土曜日
追憶 3561
ピラミッド型の生態系で生き残るのは、残念ながら、力の強い生き物ではない。
ピラミッド型の生態系で生き残るのは、数が多く、変化に対応することが出来る生き物であるだろう。
残念ながら、個の力の強い生き物から絶滅の危機に直面する。
それは、強いからである。
強いから、数が少ない。
そして、強いから変化に対応することが出来ないのである。
2022年7月8日金曜日
追憶 3560
自然界で“一番”を取ろうとするのは不自然な行為である。
なぜなら、自分以外の生き物が繁栄していなければ、自分自身の生存も危ぶまれるからである。
自分自身が“一番”になるためにピラミッド型の生態系を築けば、一番上は絶滅の危機に直面してしまうのだ。
2022年7月7日木曜日
追憶 3559
それが自然界の摂理(せつり)である。
生態系という全体を壊さないためには、個のパワーバランスを均等に保たなければならない。
個の力の強い生き物は少なく、個の力の弱い生き物は多いのが自然である。
個の力の強い生き物が、個の力の弱い生き物を全滅させると、生態系は持続しない。
それでは、生態系で“一番”を得ても仕方のないことなのである。
2022年7月6日水曜日
追憶 3558
欲深く争い、“一番”を手に入れたとしても仕方のないことである。
自然界のパワーバランスは、均等に保たれている。
個体として力の強い生き物は、数による制限がかけられる。
個体として力の強い生き物は数が少ない。
そして、個体として力の弱い生き物は、パワーバランスが均等に保たれるように数が与えられる。
2022年7月5日火曜日
追憶 3557
しかしながら、思考や心を自分だと思い込んで従(したが)っていると、生存競争に没入してしまう。
それは、“一番”に成るための争いである。
思考や心は、一番に成るために働いているのである。
大抵の人は、思考や心に従って生きている。
そのため、誰かと争っている。
思考や心に従っているから、欲深くなってしまうのである。
2022年7月4日月曜日
追憶 3556
しかしながら、それは錯覚(さっかく)である。
オタマジャクシは、生まれた時から水の中にいるから、水を自分だと思い込んでいるに過ぎない。
それは、わたし達が思考や心を自分と思い込んでいることと同じである。
わたし達は、恐らくは生まれた時(生まれる前からかも知らないが)から思考や心と共にいる。
彼等は、わたし達の生存率を上げるために働いている。
それは、とても有り難いことである。
2022年7月3日日曜日
追憶 3555
ニホンアマガエルは、水中に卵を産む。
孵化(ふか)すると、オタマジャクシは直ちに水の中である。
本来ならば、オタマジャクシと水との間には卵という薄い壁があり、両者を隔(へだ)てている。
卵と水は別物である。
しかしながら、オタマジャクシは水の中でなければ生きられない。
オタマジャクシにとって、水は命であり、自分なのである。
2022年7月2日土曜日
追憶 3554
多くの人は、自分が思考や心に殺されることを知らない。
なぜなら、思考や心が自分だと思い込んでいるからである。
本来ならば、自分という存在と、思考や心という存在は別の存在である。
なぜなら、思考や心というものは、いつでも勝手に働いているからだ。
残念ながら、生まれてこの方一度も思考や心を思い通りにしたことはない。
2022年7月1日金曜日
追憶 3553
わたし達は、蛙のように思考や心の鍋の中に閉じ込められている。
年齢を重ねるにつれて、思考や心の影響力は大きなものとなる。
それは、水が熱湯に変化して蛙を脅(おびや)かすように、思考や心が熱を持って自分という存在を脅かすのである。
2022年6月30日木曜日
追憶 3552
蛙(かえる)は、水から茹(ゆ)でると暴れることなく茹でられてしまうという。
蛙は、ゆっくりとした温度変化に対して、事の重要さに気が付けないのであろう。
熱湯に放り込めば、蛙は必ず暴れるだろう。
しかしながら、真綿(まわた)で首を絞めるように茹でられれば、大人しく茹でられてしまうのである。
2022年6月29日水曜日
追憶 3551
多くの人は、自らが思考や心に支配されて、富を信仰(しんこう)していることを知らない。
多くの人は、思考や心の欲求を自分自身の欲求と誤解してしまうのである。
それは、慣れるからだ。
喉元過(のどもとす)ぎれば熱さを忘れるということなのである。
2022年6月28日火曜日
追憶 3550
富を信仰(しんこう)する人は、思考や心の虜(とりこ)である。
思考や心は、富が与える地位や名声、快楽や欲望が大好物なのだ。
思考や心は、それ等を満たすために“宿主”に富を信仰させる。
思考や心にとって、富を信仰していることは都合が良いことなのだ。
それは、思考や心の渇望(かつぼう)を満たしてくれるからである。
2022年6月27日月曜日
追憶 3549
残念ながら、富を信仰(しんこう)する人は、思考や心に惑(まど)わされている。
残念ながら、思考や心には、本当の価値(豊かさ)を見極める力は無い。
なぜなら、思考や心というのは表面的なものに過ぎないからである。
表面的な思考や心は、表面的なものに価値を見出すのである。
2022年6月26日日曜日
追憶 3548
富を信仰(しんこう)する人には、この見極めが出来ない。
彼等は、富を手に入れれば、豊かさが得られると本気で信じている。
しかしながら、富によって得られた豊かさの影には、富によって貧しさを得た人がいるのである。
誰かを貧しくして、自分が豊かになったとして、それが本当の豊かさなのであろうか?
残念ながら、そうではないだろう。
2022年6月25日土曜日
追憶 3547
多くの人は、金儲けの魔力に魅(み)せられて、本質を見失う。
多くの人は、誰かに教えられ、擦り込まれた偽りの豊かさが欲しいのである。
地位や名声や財産などでは、豊かさを実現することは出来ない。
争って誰かから奪い取ったもので豊かさを得られる訳がないのである。
2022年6月24日金曜日
追憶 3546
金は天下の回り物である。
誰かが金儲けをするためには、誰かが金を失わなければならない。
表面的には仲良くしているように見えても、本質は奪い合いである。
汚い手を使ったとしても、奪い合いに勝った者が強者として、地位や名声や財産を手に入れるのである。
これが、ピラミッド型の弱肉強食の食物連鎖を生きる人の考え方であるだろう。
2022年6月23日木曜日
追憶 3545
多くの人は、成長するに従(したが)って富を信仰(しんこう)するようになる。
多くの人は、経済という宗教の信者なのである。
しかしながら、そのことを自覚する人は少ないだろう。
多くの人は、いつの間にかに信者として生きるのである。
富への憧れや不安などが、人に信仰心を与える。
残念ながら、仲良く金儲けをすることは出来ない。
なぜなら、金儲けをするためには、誰かの保有する金を奪わなければならないからだ。
2022年6月22日水曜日
追憶 3544
思考や心の中に様々な企(たくら)みや不燃の感情が有れば、思考や心はそれ等で埋め尽くされてしまう。
思考や心の中に何かが有る程に、思考や心の本質には気が付けない。
本質は、最も深い場所に存在している。
思考や心に何かが有れば、最も深い場所に存在する本質は見えないのである。
2022年6月21日火曜日
追憶 3543
富を信仰(しんこう)する意識の段階においては、地位や名声や財産を得た方が有利であるように思わされる。
富を信仰する意識の段階では、“有る”方が優れているという価値観が蔓延(まんえん)しているのだ。
富を土台に考えるのだから、有る方が優れているという価値観が尊(とうと)ばれるのは当たり前のことである。
そのため、人の思考や心には、様々な企(たくら)みや不燃の感情が溢れている。
2022年6月20日月曜日
追憶 3542
金持ちで幸せな者もいるだろう。
貧しくて幸せな者もいるだろう。
幸せというものは、立場では決まらないものである。
しかしながら、富を信仰(しんこう)する意識の段階においては、幸せは立場によって決まるものだと教えられたし、そう信じているだろう。
そのために、多くの人が強者を目指すのである。
2022年6月19日日曜日
追憶 3541
強者は弱者によって成り立ち、弱者は強者によって成り立っている。
互いが互いを成り立たせているのである。
どちらか一方が有利だとか、得をしているということはない。
持ちつ持たれつの関係なのである。
世界一の金持ちが幸せとは限らない。
世界一の貧しい者が不幸とは限らないのである。
2022年6月18日土曜日
追憶 3540
有名人は、ファンによって成り立っている。
ファンからの支持がなければ、有名人ではいられないのである。
そして、有名人がいなければ、ファンは活動することが出来ないのだ。
支配者層は、愚民がいなければ、支配者層として成り立たない。
愚民も、支配者層がいなければ、愚民として成り立たないのである。
悪魔も天使がいなければ、悪魔として成り立たない。
天使が天使でいるためには、悪魔が必要なのである。
互いが互いを必要としているのだ。
2022年6月17日金曜日
追憶 3539
地位や名声や財産を手にした人が、強者として豊かさを独占(どくせん)することが出来るだろうか?
富を信仰(しんこう)する人達は、そう信じているだろう。
そのため、地位や名声や財産を手にした人に憧れて祭り上げる。
わたしには、地位や名声や財産を手に入れた人に憧れて祭り上げるファンの気持ちが分からない。
目立って稼ぎの良い仕事をし、地位や名声や財産を手に入れた人は、熱狂する程に価値のある存在なのだろうか?と思うのである。
2022年6月16日木曜日
追憶 3538
弱者は強者のために存在し、強者は弱者のために存在する。
互いのために存在していなければ、食物連鎖という循環(じゅんかん)は成り立たないのである。
食物連鎖が強者のためだけにあるのならば、弱者は存在してはいない。
互いを支えているからこそ、互いが存在するのだ。
一方的な関係性は決して長続きしないのである。
2022年6月15日水曜日
追憶 3537
地位や名声や財産を手に入れた者は、その欲深さや傲慢(ごうまん)さから、自己を正当化し、自分の生き方こそが正解であり、成功だと宣伝する。
弱肉強食の世界を生きる弱者は、強者の言っていることを真に受ける。
それは、食物連鎖を表すのが、ピラミッド型の図形だったからだろう。
弱者は自分が弱者だと信じている。
本来ならば、食物連鎖は円形で表すべきである。
なぜなら、そこには強者も弱者もいないからである。
2022年6月14日火曜日
追憶 3536
どれだけの地位や名声や財産を手に入れても空しいのである。
白熊は、食物連鎖の頂点にいるが、痩(や)せ細って獲物を探し回っている姿を見ても、幸せと思えるだろうか?
地位や名声や財産を手に入れた欲深く狡猾(こうかつ)な者達の魂は痩せ細っている。
経済的な食物連鎖の頂点に近い程、その魂は痩せ細り、人生は空しいのである。
2022年6月13日月曜日
追憶 3535
富を信仰(しんこう)する弱肉強食な世界では、食物連鎖の頂点に立てば、幸福や豊かさが得られると信じてしまう。
しかしながら、すべてを手に入れたソロモン王は、最終的に空しさを得たのである。
それは、痩せ細った白熊のようなものであろう。
ソロモン王は、富の食物連鎖の頂点に立ったが、空しさを得て後悔した。
残念ながら、富への信仰には真(まこと)の価値がなかったのである。
2022年6月12日日曜日
追憶 3534
多くの人が目指している(経済的、社会的な)成功者は、更なる成功者の金儲(かねもう)けの道具に過ぎない。
それは、食物連鎖の経済版である。
小さな者は、大きな者の餌食(えじき)となる。
それが金を信仰(しんこう)する者達の生きる世界である。
2022年6月11日土曜日
追憶 3533
メディアが信仰(しんこう)するのは金である。
メディアは、金のためにしか動かない。
思いやりで動くことなど有り得ない。
そのようなことをしても金儲(かねもう)けにはならないからである。
出資者がいる以上、金儲けからは逃れられない。
メディアは、出資者の気に入るようにしか仕事が出来ないのである。
2022年6月10日金曜日
追憶 3532
有名になり、地位や名声を手にするのは、メディアの力である。
メディアに後押しされなければ必要以上に有名になることはない。
メディアの後押しによって、必要以上の地位や名声を手にするのである。
メディアは、その人の実際の実力を重視しない。
メディアは、絵面(えずら)や注目度を重視する。
なぜなら、宣伝費をもらっているからである。
2022年6月9日木曜日
追憶 3531
メディアに出られるのは、それを提供している出資者に有利に働くからである。
出資者が、金儲けに不利に働く者を使い続けることなど有り得ない。
出資者のために働く者でなければ、出資しないのである。
メディアの力で有名になり、地位を確立したからといって、その人が立派であるとは限らない。
2022年6月8日水曜日
追憶 3530
“神”を信仰(しんこう)する程に、金儲(かねもう)けからは遠ざかってしまう。
“神”や思いやりに根差している人には、金儲けなど詰(つ)まらないことに思えるのである。
著名(ちょめい)な宗教家や霊能者や経営者であったとしても、その地位や名声を理由として安易(あんい)に信用してはならないだろう。
なぜなら、あなたは直接彼等を知らないからである。
著作物(ちょさくぶつ)や他者からの評価や噂(うわさ)は、残念ながら何の当てにもならない。
そのようなものは、その人の本質を現してはいない。
なぜなら、そこには必ず忖度(そんたく)があり、賛否があるからだ。
2022年6月7日火曜日
追憶 3529
金持ち程人格者であるというのは、金持ちが自己を正当化するために言っていることである。
なぜなら、金を得るためには、“神”を捨てなければならないからだ。
“神”とは、思いやりのことである。
思いやりに従(したが)う者が金儲(かねもう)けなど出来るはずがない。
なぜなら、思いやりがあれば与えてしまうし、値引きしてしまうからである。
2022年6月6日月曜日
追憶 3528
金の世界で、金を得るためには誰かを騙(だま)さなければならない。
誰かを騙す狡猾(こうかつ)な者程、多くの金を手に入れる。
誰かを騙すつもりのない“愚(おろ)か者”は、誰かに騙されて金を失う。
金に愛される者程、狡猾であるだろう。
狡猾でなければ、この争いに勝つことが出来ないのである。
金持ちである程に人格者であるということには無理があるだろう。
2022年6月5日日曜日
追憶 3527
“神”を信仰する頂(いただき)の環境では、助け合いが必要である。
思いやりや利他的な考えが先行しなければ、頂にはいられないのである。
頂(“神”への信仰)にいられなかった人は、麓(ふもと)に下る。
そこは、金を信仰するサバイバルな環境である。
そこでは、金を得るための騙(だま)し合いが行われている。
2022年6月4日土曜日
追憶 3526
世の中は、“神”を信仰する人と金を信仰する人とで成り立っている。
陰陽の仕組みである。
どちらが良くて、どちらが悪いということではない。
この二つの性質(信仰)が存在しなければ、世の中は成り立たない。
頂(いただき)が頂であるためには、麓(ふもと)の支えが必要である。
逆もまた然(しか)りである。
2022年6月3日金曜日
追憶 3525
金を信仰(しんこう)する人は、不自然な結末を迎える。
なぜなら、真珠を身に付けた豚は、鴨(かも)がネギを背負っているようなものだからだ。
真珠を身に付けた豚は、農夫(金を信仰し、支配する人)にとっては好都合である。
なぜなら、自分自身や人生の真(まこと)の美しさや価値を知らないからだ。
そのような人は、簡単に騙(だま)すことが出来るだろう。
2022年6月2日木曜日
追憶 3524
どのように鈍感(どんかん)な人間にも、その不自然さが気付かれる程であるだろう。
流石(さすが)に、隠し切れない程に不自然さが増している。
そのような社会が長く続くことはないだろう。
恐らくは、これから多くの人が、真珠を身に付けて念仏を聴きながら小判(こばん)を数えて喜んでいる豚の不自然さに気が付くだろう。
2022年6月1日水曜日
追憶 3523
不自然を自然だと思い込んでいる誤解が、今日(こんにち)の社会の問題を引き起こしている。
それは、今に始まったことではない。
残念ながら、昔から人間は違う形の不自然を築いてきたのである。
とは言え、今日の社会の不自然さは甚(はなは)だしいものである。
豚が真珠を身に付けているだけならまだ可愛げがあるが、それに加えて、念仏を聞きながら小判(こばん)を数えて喜んでいるような構図なのだ。
2022年5月31日火曜日
追憶 3522
自然が良いと思っているのであれば、薬漬けの医療は発展しなかったし、添加物漬けのファストフードや加工食品が重宝されてはいなかったのである。
多くの人が不自然を追い求めた結果が、今日(こんにち)の不自然な世の中なのである。
2022年5月30日月曜日
追憶 3521
多くの人が自然だと思っていることは、残念ながら不自然である。
しかしながら、それに気が付くことは難しい。
多くの人は、豚が真珠を身に付けている方が良いと思っているし、人生には、不平不満を吐く方が良いと思っている。
そのため、多くの人は不平不満を吐くのである。
2022年5月29日日曜日
追憶 3520
人が不平不満を吐くことは、豚が真珠を身に付けていることに等しい。
それは、不自然であり、似合わないということである。
しかしながら、多くの人は不平不満を吐く。
それは、人間にとって不自然なことであるが、多くの人は自然にそうしているのである。
2022年5月28日土曜日
追憶 3519
人生には、最善だけが実現するが、それが分かるのは成長した後のことである。
すべてが、時に叶(かな)い、神に許(ゆる)されたことであるが、成長するまではそのことを理解することが出来ない。
そのため、多くの人は、人生や時代や世界や、環境や状況や、他者や自分自身に対して、不平不満を吐くのである。
2022年5月27日金曜日
追憶 3518
思いやりが失敗に終わることもある。
ここで言う失敗とは、相手が気に入らない結果のことである。
しかしながら、相手が気に入らないからと言って、それが最悪だとは限らない。
なぜなら、すべての人が未熟だからである。
時に叶い、神に許(ゆる)された最善も、未熟者からすれば最悪に思えるのだ。
2022年5月26日木曜日
追憶 3517
厳密(げんみつ)には、神に許(ゆる)されないことは行うことが出来ない。
どのように身勝手な行為も、行えるのであれば神に許されている。
ここで言う神に許されていない身勝手な行為とは、神の意図を汲(く)むことのない行為のことである。
例えば、相手のことを考えた行為なら、それが結果的に相手の都合の悪い結果を導いたとしても、徳を積むことになる。
2022年5月25日水曜日
追憶 3516
どれだけの偽善を積み重ねても、徳を積むことにはならない。
ゴミを積み重ねたとしても、宝にはならないのである。
相手のためを思った行為が、時に叶わず、神に許されていないことがある。
本人は、相手のためを思って行為しているのであるが、理(ことわり)への理解が乏(とぼ)しいために、自分勝手な偽善になってしまうのである。
しかしながら、本人はそのことには気が付かない。
2022年5月24日火曜日
追憶 3515
自分や他者の行為が引き金となって、都合の悪いことが起きたとしても、それが悪行(あくぎょう)であるとは限らない。
時に叶い、神に許されたことであるなら、都合の悪いことが最善なのである。
例えば、道徳に反した行為をしたとしても、それが結果的に相手のためになるなら徳を積むことになる。
相手があなたの行為の価値を理解することが出来ず、一方的に恨(うら)まれたとしても、徳を積むことになるのだ。
2022年5月23日月曜日
追憶 3514
徳とは、偽善のことではない。
多くの人は、良いことをすることを徳だと思い込んでいる。
しかしながら、それが自分勝手な偽善だとは気付かない。
良いこととは、時に叶い、神に許されたことである。
例えば、人生には都合の悪いことが起きる。
時にそれは、誰かの行為が引き金で起こることもあるだろう。
2022年5月22日日曜日
追憶 3513
力を持っていても、それを発揮させる能力がなければ宝の持ち腐れである。
誰もが力は持っているが、それを発揮させる能力を磨いてはいない。
潜在する力を発揮させるためには、意識を成長させなければならない。
意識を成長させるためには、理(ことわり)への理解を深めることである。
そして、徳を積むことである。
2022年5月21日土曜日
追憶 3512
理解力や才能とか感性というものも、意識の段階によって異なる。
意識の段階が向上する程に、理解力や才能や感性も磨かれる。
意識の段階の低いところにいる者は、理解力や才能や感性は発揮されない。
それは、自らの理解力や才能や感性を発揮させる能力がないからである。
2022年5月20日金曜日
追憶 3511
人生に対する理解の浅い老人もいれば、理解の深い若者もいる。
人生経験の少ない若者の方が、人生経験の多い老人に対して、人生に対する理解で勝るのは、生まれた時点においてスタート位置が違うからである。
長年生きていても愚(おろ)かな人もいれば、若くして賢明(けんめい)な人もいるのだ。
2022年5月19日木曜日
追憶 3510
なぜなら、人は生まれ変わらなければならないからだ。
残念ながら、人生が一度切りということはない。
死を迎えても、また新たに始めなければならないのである。
しかも、同じ場所からのスタートであることを理解しなければならないだろう。
肉体や時代や場所は違っていたとしても、同じ意識の段階から人生を始めなければならないのである。
2022年5月18日水曜日
追憶 3509
人は、人生の目的を追求して生きるべきである。
なぜなら、“自分が何であるか?”、“人生とは何か?”という問いを持ったままでは死ねないからだ。
もちろん、大抵の人は答えに辿り着くことなく人生を終える。
しかしながら、人生の目的を無視してただ死を待つことと、人生の目的を追求して一歩でも進むことには大きな違いがある。
2022年5月17日火曜日
追憶 3508
豚は、自分であることが最も美しいことを知っているのではないだろうか?
自分とは、歪(ゆが)みの無い状態のことである。
大抵の豚には、歪みは無いだろう。
そのため、真珠を欲しがらないのである。
人は、本来ならば、人生の目的(への理解)を欲しがるべきである。
人生の目的を追求する生き方こそが、人の本来の美しさであるだろう。
2022年5月16日月曜日
追憶 3507
今のわたしは、若い頃に比べて見た目を気にすることはなくなった。
小綺麗にしていたいとは思うが、着飾りたいとは思わない。
シンプルでラフな格好で良いと思う。
それは、若い頃に比べると、多少は中身が育ったからではないだろうか?
真珠で着飾らなくても、ただの豚であることへの自信が付いたのである。
2022年5月15日日曜日
追憶 3506
わたしは年齢を重ねる度に、見た目を過度に気にしなくなった。
思い返してみると、若い頃は、着飾ることが好きというよりも、他者からどのように見られるか?ということの方が重要だったのかも知れない。
年を取ると、他者からどう思われていようが大して気にならなくなった。
これは、若い頃は自分に自信が無かったから、それを補(おぎな)うために着飾っていたのではないかと思う。
2022年5月14日土曜日
追憶 3505
年齢を重ねることは、経験を重ねることである。
経験を重ねることは、磨くことである。
気にすることは執着(しゅうちゃく)することであるだろう。
それは、不自然なことである。
磨かれていなければ、不自然に執着してしまう。
豚は、真珠を身に付けなくても美しい。
豚は、豚でありさえすれば美しいのである。
2022年5月13日金曜日
追憶 3504
どのように綺麗に化粧をしていても、そこに不自然な美を見てしまう。
化粧品や化粧をしている人を批判する訳ではない。
これは、個人的な美的感覚なのである。
わたしも若い頃には、髪型や服装を気にしていた。
無駄に高価なアクセサリーなどをたくさん身に付けていたものである。
2022年5月12日木曜日
追憶 3503
豚に真珠は似合わない。
なぜなら、不自然だからである。
豚にとって真珠は余計なものであり、自由を損うものであるだろう。
残念ながら、それは美しいとは言えないのである。
例えば、わたしは女性は化粧をしていない方が美しいと思う。
何歳の女性であろうとも素顔が最も美しいと思うのである。
2022年5月11日水曜日
追憶 3502
人にとっての本質的な価値とは、人生の目的である。
人は、人生の目的が果たせればそれで良いのである。
しかしながら、多くの人はそのことを知らない。
多くの人は、そのことを知らないために余計に“着飾る”のである。
多くの人は、着飾っていることが美しいと思うし、幸福や豊かさだと信じているのである。
あなたは、真珠を首から下げている豚がいたらどう思うだろう?
2022年5月10日火曜日
追憶 3501
当然のことながら、豚が真珠を奪い合って争うことはない。
食べ物や縄張りや交尾の相手を奪い合って争うことはあるかも知れないが、それは、生物として本質的な価値を追う姿勢である。
豚は、人間のように余計に欲することはないだろう。
人間の欲求は足ることを知らない。
人間は、どれだけ手に入れたとしても足らないと思ってしまうのである。
2022年5月9日月曜日
追憶 3500
人にとっては、この世の財産よりも、人生の目的の方が価値がある。
財産や地位や名声に価値を見出している人は多い。
大抵の人はそうしている。
しかしながら、それは、本質的ではない価値を必死で求めている姿なのである。
豚が真珠を得るために、互いに争っているような光景であるだろう。
2022年5月8日日曜日
追憶 3499
心が真っ直ぐで豊かな人が、見栄を張るために真珠を欲しがるだろうか?
そのような人は、本質的な価値を欲するだろう。
高級とか、多くの人が欲しているという理由では、それを欲しがらないのである。
豚は、自分にとって真珠には価値がないことを知っている。
そのため、真珠には見向きもしない。
豚にとっては、その辺りに生えている野草や泥(どろ)の方が、真珠よりも価値のあるものなのだ。
2022年5月7日土曜日
追憶 3498
高級というのは、希少価値のことである。
経済的な視点で判断すれば、希少である程に価値が与えられる。
豚は、珍しいという理由で真珠に価値を見出すことはない。
豚は、自分にとって本当に必要なものに価値を見出す。
見栄を張りたい人にとっても、それは必要なものであるのかも知れないが、それは、歪んだ心が欲しているだけなのである。
2022年5月6日金曜日
追憶 3497
真珠は、とても美しく思えるし、見栄を張るには重宝する。
宝石や洋服なども同じであるが、多くの人は、高級なもの程価値があると信じている。
高級な物は、優越感や所有欲などの自己満足を満たすためには役に立つし、それに関しては価値があるが、それが本質的な価値ではないだろう。
なぜなら、安くて機能性や耐久性に優れるものが他にあるからである。
2022年5月5日木曜日
追憶 3496
人間にとっては価値のある真珠も、豚にとっては何の価値もないものである。
豚には、真珠の使い道がないからだ。
豚にとって、真珠はその辺の小石と変わりないだろう。
真珠に価値を見出すのは人間だけである。
真珠は、人間にとっては価値のあるものだ。
2022年5月4日水曜日
追憶 3495
社会的な地位や名誉を築くことには特別な価値は無い。
財産を築くことにも特別な価値は無いのである。
なぜなら、それ等を誰よりも所有していようとも、人生の意味や目的を知らないのであれば、空しいからだ。
“豚に真珠”である。
わたし達は、人生とその目的を与えられている。
しかしながら、多くの人にはその価値が分からないのだ。
2022年5月3日火曜日
追憶 3494
掘り下げていくと、より本質的なものになる。
本質を得るためには、深く掘り下げる必要があるのだ。
簡単に諦(あきら)めてはならない。
多くの人は、本質に辿り着く前に諦めてしまう。
人生の目的に辿り着く前に、目の前の快楽や欲望や責任に惑(まど)わされてしまうのである。
2022年5月2日月曜日
追憶 3493
物作りにおいては、長寿命で使い勝手が良く、安価であることが本質的な条件であるだろう。
国産車は、外国の自動車のアイデアや技術を取り入れていることも多い。
そのまま取り入れているのであれば価値は無いが、それをより良いものに改良することが出来るのである。
2022年5月1日日曜日
追憶 3492
それぞれの必要性によって、役割が分かれている。
外国的な考え方や価値観も必要だろう。
しかしながら、それでは問題があるため、国産の自動車は不具合や故障が少ないように作られているのである。
もしも、外国の自動車のような”やり方”が本質的であるならば、国産車の自動車も同じことをしているはずなのである。
2022年4月30日土曜日
追憶 3491
それは、不具合や故障によって経済を回すという側面もあるかも知れないが、基本的には深く掘り下げることが苦手なのであろう。
外国の自動車は、草のように早いサイクルで登録と抹消(まっしょう)が行われているのではないだろうか?
国産車は、外国の自動車に比べると寿命は長い。
それは、樹木のようにしっかりとした作りだからである。
2022年4月29日金曜日
追憶 3490
わたしは20年で3台の国産車を乗り継いだが、不具合や故障など無いに等しかった。
その中の1台は、新車で購入し、13年で13万km走行したが、不具合や故障もなく、知り合いに譲った今も元気に走っている。
それは、国産車の製造技術の高さを証明しているだろう。
残念ながら、外国の自動車では難しいことである。
2022年4月28日木曜日
追憶 3489
欲や見栄のために樹木を伐採(ばっさい)し続けると、環境には大きな悪影響があるだろう。
例えば、国産車を規制して、外国の自動車の数を増やしてみるとどうだろう?
そうすれば、車社会は混乱するに違いない。
不具合や故障の多い外国の自動車の数を増やすことは、修理や買い替えによって、経済を強制的に循環させる効果はあるかも知れないが、それ以上の社会的な問題の方が大きいだろう。
2022年4月27日水曜日
追憶 3488
草原を広げるために、樹木を伐採(ばっさい)するのは不自然なことである。
良いものがあるのに、欲や見栄のために悪いものを選ぶ必要はないのである。
草は樹木に比べて、水を蓄える力も、土砂崩れを防ぐ力も、酸素を生み出す力も、気温を下げる力も、生命を養う力も少ないだろう。
2022年4月26日火曜日
追憶 3487
広く展開することも大切だが、深く掘り下げることがなければ豊かさは得られないのである。
草木の共生が豊かさを生み出すが、草よりも樹木の担う役割が大きいだろう。
例えば、樹木がなければ、山でも平野でも貯水量は減ってしまうだろう。
それに、草原だけでは地球の酸素量も足らないのである。
2022年4月25日月曜日
追憶 3486
それは、深く掘り下げるよりも、広く展開していくようなものであろう。
縦と横である。
深く掘り下げるものは大樹となり、広く展開するものは草原となる。
外国の自動車は、先進的なアイデアや技術が満載である。
外国と一纏(ひとまと)めにすることは出来ないが、彼等は、広げる力に長けている。
役割としては、広く展開する草のようなものであろう。
2022年4月24日日曜日
追憶 3485
本質的なものは安定している。
本質的である程、しっかりしているのである。
簡単に壊れるものは、本質的ではない。
外国は、考え方や価値観が本質的なものを重視するようなものではないだろう。
どちらかと言えば、表面的な考え方や価値観を重視しているのではないだろうか?
2022年4月23日土曜日
追憶 3484
本質的な価値とは、古今和歌集に収録され、国歌である君が代の歌詞として使われた詩(うた)である“わが君は、千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで”ということである。
この詩は、“あなたには、小石が大岩となり、苔生(こけむ)すまで長生きして欲しい。”という相手の幸せを願う詩である。
2022年4月22日金曜日
追憶 3483
外国の自動車を好むことと、浮気や不倫を結び付けることは難しいが、見栄を張ることや見た目を重視することには共通点があるだろう。
本質的な価値を重視する人は、見栄を張ることや見た目を重視することはない。
本質的な価値を重視する人は、見栄を張ることや見た目の好みを理由としては自動車や相手や行動を選ばないのである。
本質的な価値を重視すれば、本質的な価値も判断に織り込むのである。
2022年4月21日木曜日
追憶 3482
より本質的なものがあるなら、それを選んだ方が良い。
見栄を張ることや見た目だけで本質的な価値を手放してはならないのである。
浮気や不倫を喜ぶような人も考え方としては同じであるだろう。
残念ながら、浮気や不倫に本質的な価値はない。
浮ついた(軽薄な)気持ちや、倫理を否定(不)すると書く行為が、本質的な価値であるはずがないのである。
2022年4月20日水曜日
追憶 3481
外国の自動車が悪いということではないが、見栄を張るためだけに長く乗り続けることは難しいのである。
外国の自動車に乗っている人は、古くなって見栄を張れなくなる前に乗り換えるとか、故障して多額の修理代が必要になる前に乗り換えることが多いだろう。
それも悪くはない。
しかしながら、それでは、本質的な思いやりや哲学は育たないのである。
2022年4月19日火曜日
追憶 3480
地位や名声や財産を得るためだけに生きてはならない。
それ等は装飾(そうしょく)に過ぎないのである。
装飾をどれだけ豪華(ごうか)なものにしたとしても、その価値は一時(いっとき)のことに過ぎない。
見た目や値段は良いが、すぐに壊れてしまう外国の自動車のようなものである。
多くの人は、見栄を張って見た目や値段の良い外国の自動車に乗りたがる。
2022年4月18日月曜日
追憶 3479
人生に地位や名声や財産を築いたところで、空しさを得るのであれば大きな損害である。
地位や名声や財産を築いた老人が、晩年に後悔して空しさを得るのは良くあることであろう。
ソロモン王でさえ、空しさを得たのである。
“神”への信仰(しんこう)という思いやりや哲学などの本質(骨組み)がなければ、人生は空しいのである。
2022年4月17日日曜日
追憶 3478
立派な建物を建てたとしても、すぐに傾いたり倒壊(とうかい)するのであれば、大きな損害である。
見栄えだけが良くても仕方がないのである。
そこに価値を見出すことは出来ないだろう。
見栄えが良くて簡単に倒壊する建物よりも、見栄えが劣ったとしても、丈夫な建物の方が良いのである。
基礎や建物の価値は、丈夫で長持ちするところにあるだろう。
2022年4月16日土曜日
追憶 3477
立派な家を建てる前に、立派な基礎(きそ)を築く知識や技術を磨かなければならない。
多くの人は、見栄えの良い財産や地位や名声を求める。
それは、立派な建物である。
しかしながら、基礎である思いやりや哲学は求めない。
多くの人は、見栄えの良い建物が完成すれば良いと思っているのである。
2022年4月15日金曜日
追憶 3476
多くの人は、見た目や見栄えが良ければそれで良いと思っている。
中身や本質を重視することは少ない。
しかしながら、満足を得るためには、中身や本質を重視しなければならないのである。
立派な家を建てても、すぐに崩壊するのであれば意味がない。
すぐに崩壊するなら、その家はいっそのこと建てない方が良いのである。
2022年4月14日木曜日
追憶 3475
多くの人は、本質を気にしない。
それは、目には見えず、簡単には捕らえることが出来ないからだ。
多くの人は、自分にとって都合が良ければそれで良いのである。
口に甘ければ、腹に苦いことは気にしない。
多くの人は、上辺(うわべ)を生きているのである。
2022年4月13日水曜日
追憶 3474
多くの人は、鉄筋の抜けたコンクリートの上に人生を築く。
多くの人は、唯心論や心(思いやり)や哲学を軽んじたり、忘れている。
それは、直接的ではないからだろう。
見えないものの価値を理解しないし、出来ないのである。
多くの人にとっては、見た目が良ければそれで良いのである。
中身のことは後回しである。
2022年4月12日火曜日
追憶 3473
多くの人は、不自然を良いものだと信じている。
そして、自然を悪いものだとも信じているのである。
そのような流行や風潮に流されているのだ。
多くの人は、不自然である程に文明的だと信じているのだろう。
都会の暮らしに憧れるのは、不自然に憧れているからである。
2022年4月11日月曜日
追憶 3472
多くの人は、見た目だけの不自然なものに頼る。
唯心論や心(思いやり)や哲学を持たないから、有名人や周囲の人が良いというものを無条件に良いと信じる。
多くの人は、他人が作った流行や風潮に踊らされているのである。
しかも、それが正しいことだと信じているのである。
そのような人達は、常識が偏見(へんけん)であることを知らない。
2022年4月10日日曜日
追憶 3471
多くの人は、唯物論や金や宗教などの偏(かたよ)った思想を振りかざす。
そのため、人生や人格は育たない。
大きくしようとする程にひび割れ、崩壊するのである。
大切なのは、そこに唯心論や心(思いやり)や哲学を織り込むことである。
唯心論の含(ふく)まれない唯物論は不自然である。
心(思いやり)の含まれない金は不自然である。
哲学の含まれない宗教は不自然なのである。
2022年4月9日土曜日
追憶 3470
コンクリートは、鉄筋を入れることで強化される。
鉄筋コンクリートの基礎なら、どのような建物も支えることが出来るだろう。
唯物論や金や宗教だけでは、偏(かたよ)って薄っぺらい思想や人格や人生を築いてしまう。
残念ながら、世の中には、薄っぺらい思想を振りかざす自分勝手な人間が多い。
それは、偏っているからである。
2022年4月8日金曜日
追憶 3469
コンクリートで作った基礎(きそ)は、一見すると頑丈に見える。
しかしながら、それは見た目だけのことである。
頑丈そうに見えても、しばらくすると自然にひび割れて、やがて崩壊してしまうのである。
建物を乗せると、崩壊までの時間は早まるだろう。
それは、芯(しん)となる鉄筋が入っていないからだ。
2022年4月7日木曜日
追憶 3468
しかしながら、多くの人は、基礎(きそ)が完成する前に建物を建設する。
多くの人は、唯物論や金や宗教が、人生に平和と幸福と豊かさをもたらすと信じているのである。
しかしながら、どれだけ立派な建物を建設したとしても、基礎が完成していなければ、やがては傾いてしまうのだ。
唯物論や金や宗教などの半分の材料だけでは、コンクリートだけで基礎を作るようなものなのである。
2022年4月6日水曜日
追憶 3467
唯物論や金や宗教に対して、盲目的にのめり込んではいけない。
それでは、堅固(けんご)な基礎(きそ)は完成しないからだ。
唯物論や金や宗教を盲信(もうしん)することなく、その本質を見極め、客観的に相対(あいたい)することが出来たのであれば、基礎は完成である。
堅固な基礎が完成して初めて、建物の建設へと踏み出すことが出来るのである。
2022年4月5日火曜日
追憶 3466
建物は大切であるが、基礎(きそ)はそれ以上に大切である。
どのように立派な楼閣(ろうかく)も、砂の上に建造すれば傾いてしまう。
それでは、価値がないに等しいのである。
基礎がしっかりしていれば、建物は長くその姿を保つのである。
そこに価値が生まれる。
2022年4月4日月曜日
追憶 3465
唯物論や、金や宗教が悪い訳ではない。
それ等に対して汚れを持っていることが悪いのである。
汚れとは、理解不足である。
基礎(きそ)についての理解が不足していると、脆(もろ)い基礎を築いてしまう。
それは、余計なものが混ざっていたり、必要なものが不足していたりする。
それでは、建物を支えることが出来ないのである。
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