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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年5月25日土曜日

追憶 2421

自我意識の介入の痕跡(こんせき)と、その存在は、目を凝(こ)らせば見付かるが、目を凝らさなければ見付からないのである。
多くの人は、目を凝らすことがない。
細かいところまで見ようとは思わないのである。
なぜなら、それが楽であるし、先に進んでいるように思えるからだ。
石橋を叩いて渡るようなことは、今日の利益追求型の社会においては難しいことなのである。
ある種の利益(経済的な利益や、快楽や欲望を貪ることの出来る状態)を得るために都合の良い状態が好まれる。
ある種の利益を得るためには、自我意識に従って生きることが都合良いということなのだ。

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