それは、自我意識が自身を削られることを嫌うからである。
自我意識も、独自の意識によって存在している。
すべての人は、自我意識という別の人格と共に生きているのである。
多くの人は、自分自身で考え、行っているように思っているが、大抵の選択に自我意識が介入(かいにゅう)している。
それは、とても自然な介入なので、気が付くことは難しい。
自我意識の介入に気が付くためには、自分自身を疑わなければならない。
それは、森の中で、擬態(ぎたい)している昆虫や動物を見付け出すようなものなのである。
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