そのため、宗教が追い求めている”神”という存在は、残念ながら根源的な”神”ではないであろう。
宗教という限られた一部の思想に執着している時点において、それは全体の中の一部の何者かを信仰しているということなのである。
そのため、わたしは宗教を信仰することが出来ない。
わたしは、全体と一部を同時に信仰しているのである。
宗教に携わっている人達の価値観は、限られたもののように思えて仕方ないのだ。
それは、とても幼い認識に思えて仕方がない。
理想論が先行し、浮き足立っているようにしか見えないのだ。
現実には、多くの苦しみが存在している。
それは、苦しみという感情が、自分の未熟な認識の中に存在しているに過ぎないが、多くの人は、目の前の現実に苦しみが存在すると誤解しているのである。
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