”神”の救いがあると思い込むことによって、人は傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまうのではないだろうか?
人を殺すことも、殺されることも、許しているのが戦争という状態だ。
恐らく、わたし達は命を軽んじてはならないのである。
それは、虫の命でさえ、軽んじることに心が痛むからだ。
命の重みを感じることが出来ないのは、狂気であるだろう。
”神”の救いがあると考えるから、何をしても許されるなどと思い上がってしまうのである。
宗教という狂気は、人を大胆にさせてしまう。
普段は温和な人も、狂気に触れると我を忘れてしまうだろう。
彼女達は、わたしの時間を不毛な勧誘によって奪っていることを知らない。
それは、彼女達が狂気に触れているからだろう。
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