すべてを大切に思う気持ちが必要なのである。
それは、愛するということであろう。
偏りは、所有である。
確か、ゴータマの言葉であったように思うが、彼が好きと愛するの違いについての質問を受けた時に、"花を好きな人は摘んで持ち帰り、花を愛する人は摘むことも持ち帰ることもない"というような言葉を残してあるのをどこかで読んだ記憶がある。
うろ覚えなので、正確なことは分からないが、好きとは自分を満たす行為であり、愛するとは相手を満たす行為であることは間違いないのではないだろうか?
多くの人は、所有を目指している。
それは、全体から一部を剥離(はくり)しようとしているのである。
彼女達は、わたしを宗教に所属させることによって、全体から引き離そうとしているのである。
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