宗教(仏、先祖、教義)に縋(すが)る老女は、残念ながら幸せそうには見えない。
恐らく、老女は日常生活や人間関係に対して不安や不満を抱え、それから逃げ出して宗教への信仰へと辿り着いたのだろう。
彼女達も、きっと動機は同じだろう。
恐らくは、日常生活や人間関係に不安や不満を抱いて、宗教というパラダイスへと逃げ延(の)びたのだろう。
宗教という共同体の中では、恐らく皆が仲良くしているのだろう。
小さな世界で仲良くすることは決して難しいことではないからだ。
恐らくわたし達は、偏るために生まれたのではないだろう。
小さな世界で仲良く生きることは、良いことのように思えるが、人生というものを考えた時には、そこに矛盾を覚えてしまうのである。
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