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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年8月8日水曜日

追憶 2131

一部を全体と考えてしまえば、踏み誤ってしまうだろう。
全体を一部と考えても同じことである。
”神”という存在は、全体であり一部なのである。
わたしは”神”という存在を特別視してはいない。
それは、”神”という存在が自然だからである。
わたしは、不自然は特別視することは出来るかも知れないが、自然を特別視することは出来ないだろう。
それは、自然には気が付かないからである。
わたしにとっての”神”とは、例えば、心臓を動かしている不思議な力のことである。
心臓の鼓動は、とても不思議な現象ではあるが、大抵の人はそのことに気が付かないでいる。
大抵の人は、心臓の鼓動に対して、ごく自然に接しているのである。
心臓が動いているのは、考える程に不思議な現象であるにもかかわらず、多くの人はそれに何の疑問も抱かない。
それは、心臓の鼓動というものが一部であり、同時に全体であるからだろう。
命とは、個であり、全体であるということだ。
わたしには、”神”というものが、そのような存在だと思えるのである。



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