そのためには、輪廻という仕組みが必要なのである。
輪廻というものは、宗教的な概念であるが、わたしは宗教的な概念を否定しているのではない。
それに携わる人達の利己的な解釈と歪んだ行為を否定しているのである。
わたしは、輪廻を信じているが、それは宗教を通じて教わったからではない。
輪廻という概念は、宗教を通じてどこかで知ったものだろうが、知識を得た時点においては、わたしはそれを疑っているのである。
わたしは、自身の霊的な体験を通じて、知識に過ぎなかった輪廻という概念を実感し、それがこの世界の理(ことわり)の一部であると考えるようになった。
また、わたしの体験を通じて得た知識が、宗教の教えと通じることを発見することもある。
残念ながら、宗教に携わっている人に共感することは難しい。
それは、教科書で単なる知識を学んでいる人に過ぎないからだ。
それは、自動車の運転技術のことなら、教習所の教官よりも、プロレーサーに聞く方が優れていることと同じである。
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