宗教の残念なところは、誰かを助けようとしてしまうところである。
誤解して欲しくはないが、わたしは誰かを助けてはいけないと言っているのではない。
助け方を疑問視しているのである。
泳ぎの達者な人でも、泳ぎで溺れている人を助けることは難しい。
溺れている人を泳いで助けに行くことは、最悪の場合、二人共が溺れ死んでしまうことにもなり兼ねないからである。
泳ぎに自信があるからといって、泳いで助けに行くことは賢い選択ではないように思えて仕方がないのである。
様々な要因が重なって、溺れている人を助けることが出来たとしても、二人目はより難しいだろう。
三人目は不可能に近いのではないだろうか?
そこには、知恵の働きは存在しないだろう。
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