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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2017年10月30日月曜日

追憶 1849

唯心論に重点を置く人は、俗世間から離れようとする。
寺や山や特殊な場所に身や精神を置き、社会のルールや人間関係を離れて、不自然な生活を試みるのである。
当然、思想体系も偏(かたよ)る。
例えば、”神”の名を公言し、小さな世界の戒律(かいりつ)に縛られている。
それで可能性が広がるのであれば良いだろうが、大抵の場合は可能性を乏しくする。
なぜなら、結局は、誰かの決め付けを守っているだけであるからだ。
親の決め付けを守り続けた子どもは悲惨な人生を歩む。
世間では、反抗期が無いことを喜んでいる人もいるが、わたしには従順な”僕(しもべ)”を得て自尊心を保つことができた哀れな人が、愚かにも安心しているようにしか見えない。
唯心論に重点を置く人は、もう一度、この世界に生まれ落ちた意味を改める必要があると思うのである。

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