このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2014年12月3日水曜日

追憶 816

それにこの時、Nには交際している相手がいたようだ。
詳しくは知らないが、わたしにはそれを壊す権利はないと思えたのである。
大天使ミカエルの意思は、何かしらの必要を満たすためのものであるだろう。
しかし、それは絶対というものではないと思える。
わたしたち人間には「神様」から自由意思が与えられ、守護者の意思を受け入れないという選択肢もあるのだ。
大天使ミカエルがわたしを叱咤(しった)したのは、先述したように、これはわたしが自分自身の意思によって志した道であるからである。
わたしが自分自身の意思によって志すことがなければ、大天使ミカエルはわたしのことなど気に留めてはいないのだ。
もちろん、Nにも自由意思が与えられており、それを大天使ミカエルやわたしが歪めることなどできるはずがないのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿