彼の中には、Nを思う気持ちがあるはずである。
わたしにはそれが良く分かるので、青年をかわいそうに見てしまう。
しかし、そこに必要が存在していることも知っている。
彼にはかわいそうではあるが、それぞれが成長するためには仕方のないことだったのであろう。
現時点においては、わたしを含め、Nにも青年にも、このような状況に導かれた理由は分からないであろう。
しかし、何らかの必要が存在しているためにこうなったのは理解することができるはずである。
わたしたちはその理由を探すために、それぞれの立場で受け入れなければならないのだ。
受け入れることがなければ、理由を探すことはできず、理由を探し出すことができなければ、先へと進むことはできないのである。
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