このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2013年6月9日日曜日

追憶 474

先に述べたように、わたしが自分の名前を好きになり、そこに誇りを持つようになるのはこれよりも何年か後になるのだが、そのための作業をわたしは始めていたのである。

瞑想による自身の意識の探究は、仕事の合間を縫っては毎日続けた。
わたしは自己の探究が楽しくて仕方がなかったのである。
しかしながら、20年間怠けていた自己の探究である。
決して簡単なものではなかった。
まず、自己というものが何なのか分からない。
それがどこに存在し、どのような方法によって得られるのかも分からないのである。
どのような状態が正解であり、達成なのかも分からない。
誰もわたしに答えを示してはくれない。
誰もわたしを助けてはくれない。
少なからず周りの大人たちは誰も、わたしに教えられないのである。
わたしがやっていることは、泥水の中に砂金を探すようなものであるように感じられた。





0 件のコメント:

コメントを投稿