当時のわたしには分からないことではあったが、わたしは本能か教育か別の何かによって救われた。
境界線を超えることは誰にも容易にできることであるだろう。
人が怒りの感情の犠牲になるのは簡単なのである。
それを救うのは、心の中に在る思いやりや優しさなどの温かな気持ちと、感謝や理解などの建設的な思考なのだ。
当時のわたしが紙一重で助かったのは、わたしの中に存在している温かな気持ちや建設的な思考が、諦めなかったおかげであろう。
怒りの感情に支配されていた心にとって、それ等はとても小さな力であったが、小さく打つことが全体を揺さぶることもある。
わたしが怒りの感情の支配を振りほどき、反省と改善に至ったのはこの小さな力が小さくても心を打ってくれたからなのである。
どのような状況にも諦めてはならない。
小さな力でも大きな力を制することもあるのだ。
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