わたしは不自然と共に生まれた。
そして、不自然を手放すことがわたしの目的である。
それは、余計を手放すということだ。
余計なことを手放すことによって、人は不自然を手放し、自然へと近付くことが出来る。
自然とは、理(ことわり)のことである。
それは、無駄のない状態のことだと理解すれば良いだろう。
”神”への信仰に、厳しい修行は必要ない。
難しいお経や、長い祈りも必要ではない。
”神”は、宗教儀式など求めてはいないのである。
どうして”神”が、特定の者だけを救うのだろうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿