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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年3月25日月曜日

追憶 2360

老女は、自分が”神”から大役を担(にな)っていることを忘れている。
そのことを忘れているから、目の前の状況に対して不平不満を吐いたり、宗教に依存するようなことになるのである。
”神”は、目の前の状況に対して不平不満を吐くことや、宗教に依存することを求めてはいない。
”神”が求めているのは、思いやりを以(もっ)て問題を乗り越え、自身の足で歩むことである。
”神”はそのように示唆(しさ)している。
それは、目の前の状況に対して不平不満を吐き、宗教に依存するよりも、思いやりを以て問題を乗り越え、自身の足で歩むことの方が気分が良いからである。
恐らく、”神”はそのように”考えている”だろう。
(本来、”神”という存在が全知全能であるのならば、考えるという行為は必要ない。”神”が考えるという表現は、未熟な人間であるわたしの未熟な表現である。)
人は、”神”の意思を理解することは出来ない。
そのため、推測(すいそく)するだけである。

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