老女は、働き過ぎで足が痛んだのだと考えている。
それは正しい。
老女には事情があって、若い頃から人一倍働き続けなければならない人であった。
昼夜を問わず、肉体を酷使(こくし)した結果、足が痛んでしまったのだろう。
しかしながら、働き過ぎたという状態も、結果に過ぎない。
働き過ぎるための原因が存在しているのである。
何かしらの原因によって、働き過ぎなければならなかったのだ。
そして、足が痛まなければならなかったのである。
それは、家庭の事情であったかも知れないが、家庭の事情も結果である。
結果を辿(たど)り、より本質的な原因へと辿り着かなければならないのだ。
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