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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年3月21日木曜日

追憶 2356

心を黒く汚した状態では、”神”への信仰である思いやりを実践(じっせん)することは出来ないだろう。
思いやりというものは、心の余裕の余剰(よじょう)である。
目の前の困難に対して、心に余裕を保つことが出来る人が、更に他者に向けた気遣いが思いやりなのである。
”神”への信仰というのは、目の前の困難を乗り越えて、他者を愛するということであろう。
目の前の困難に溺れ、その苦しみから”神”に縋(すが)ることは決して、”神”への信仰などではない。
宗教に携わっている人の多くが、”神”に縋ることを信仰だと思っているのではないだろうか?
わたしには、そのように思えるのである。

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