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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年3月22日金曜日

追憶 2357

“神”のために生きることが信仰であるというのであれば、“神”が与えた困難を否定することは信仰ではないだろう。
困難は、自分自身から生じるが、それを導いて“くれる”のは“神”の理(ことわり)である。
人は困難を通じて、常に“神”と対話しているのだ。
“神”は、目の前の困難として現れる。
もちろん、すべての状況として現れるのであるが、自分にとって都合の良い状況だけに現れるのではないということである。
すべての人は、常に“神”と会っている。
特別な場所や特別な方法によって会えるというものではないのだ。
そのことを理解しなければならないだろう。

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