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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年3月5日火曜日

追憶 2340

もしも、自発的に考えるのであれば、宗教という形は成立しないのではないかと思える。
信仰の中に儀式はなくなり、それぞれの考える愛の形が表現されることになるだろう。
死者を葬(ほうむ)るのに、長いお経やお祈りなど必要ない。
堅苦しい衣装や、特別な道具など必要ないのである。
先祖供養は、子孫が自分達の考えた形で行えば良いし、どうしても必要とは限らないようにも思える。
わたしは、個人的には、先祖供養はしたことがないし、必要があるとも思えない。
わたしが先祖の立場であれば、子孫に供養して欲しいなどとは思わないだろう。
わたしは自発的には墓参りにも行かないし、法事にも興味はない。
なぜなら、それは宗教儀式であり、自然な行為ではないからだ。



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