このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年3月7日木曜日

追憶 2342

それは、わたしのことである。
わたしは、厳しい修行をしたことがない。
難しいお経も、祈りの言葉も知らない。
そして、宗教儀式の知識もない。
権力など、あるはずもないのである。
わたしは劣等感の中に生まれ落ち、罪悪感を食べて成長した。
わたしは、誰よりも愚(おろ)かな存在なのである。
しかしながら、わたしの人生は喜びの中に存在している。
わたしにも辛いことや苦しいことはある。
嫌なこともやりたくないこともあるのだ。
しかしながら、それでも人生は喜びの中に存在している。
それは、”神”に対する信仰が、不自然よりも自然の方が優っているからではないだろうか?



0 件のコメント:

コメントを投稿