”神”を信仰するということは、思いやりを以(もっ)て生きることである。
ただ、それだけのことなのだ。
しかしながら、思いやりを以て生きることは、容易なことではない。
なぜなら、人は未熟に生まれるからだ。
未熟に生まれた者にとって、思いやりを以て生きることは至難(しなん)である。
それは、未熟であるが故(ゆえ)に、問題を引き起こしてしまうからだ。
問題を引き起こせば、余裕が奪われてしまう。
余裕のない状態において、それでも思いやりを継続することは難しいのである。
”神”を信仰するということは、思いやりを以て生きるだけのことである。
それは、とても単純なことであるが、それが難しいということを理解しなければならないだろう。
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