日本人であれば、労働時間が長いことや、睡眠時間が短いことを自慢し合うかも知れない。
それ等は冷静に考えてみると苦しみであると思えるが、"奴隷の鎖自慢"の状態にある人達においては、その苦しみも喜びと錯覚してしまうのである。
宗教というのは、罪深いものである。
信者には苦しみを強(し)いながら、幹部は甘い汁を吸っている。
奴隷が奴隷であることを疑問に思わないことが、主人の願いであるだろう。
宗教の幹部達の願いは、信者が信者であることを疑問に思わないことであるだろう。
信者は、何も知らない"子羊"であることが理想なのである。
何も考えず、恐怖に震え、依存(いそん)することが都合の良い状態であるだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿