残念ながら、人が宗教に属する動機は、恐怖や教育に過ぎない。
目の前の現実問題から逃れるために宗教に属したり、親の教育によって、何も考えずに宗教に属するというものである。
そのため、どうしても視野を広げることは難しいのだ。
わたしの家は、一般的な日本人のように神社に参拝し、お寺にお墓がある。
その他の宗教には関わってはいない。
地元の寺には、住職が一人で生活している。
この住職は、すこぶる評判が悪く、嫌っている人の方が多い。
それは、態度が非常に傲慢(ごうまん)であり、金に汚く、掃除もせず、大人や子どもに関係なく気に入らないことがあると人を怒鳴りつけることもあり、平気で嘘を吐くような姑息な人物であるからだ。
詳しくは書かないが、外道という言葉に合致した人物である。
彼は、仏の道を行く人ではない。
70歳を超えているが、それでも、人としての道もまともに歩むことの出来ない未熟な人なのである。
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