それは、宗教という特殊な世界においては、実力を測(はか)ることが難しいからだ。
スポーツの世界においては、実力を測り易いだろう。
何を以(もっ)て実力とするかは難しいところではあるが、競技における能力、得られる年俸や副収入、協会に対する貢献度、社会に対する影響力など、実力というものは多岐(たき)に渡っているが、比較的分かり易い世界なのではないかと思う。
しかしながら、宗教における実力というものを理解することは難しいだろう。
恐らくは、盲目(もうもく)な人に道を示し、理(ことわり)を示すことが宗教の本来の目的なのではないだろうか?
しかしながら、今日の宗教は本来の在り方ではない。
寧(むし)ろ、本来の目的に反抗しているように思えて仕方がないのである。
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