今日における宗教の目的は、その集団に属する一部の人達が贅沢な暮らしをするためであるだろう。
どの世界でも同じであるだろうが、人の作る集団というものは、大抵が序列(じょれつ)を形成する。
集団に序列は仕方のないことだとは思うが、全体が支え合う体系であれば良いが、一部がその他の大部分から搾取(さくしゅ)するという体系は良い結果を導かないだろう。
しかしながら、今日の宗教はそのように働いているのである。
今日の宗教は、恐らくは純粋な目的を見失い、死を得ているように思えて仕方がない。
それは、まるで死体が食べ物を貪(むさぼ)っているようにしか思えないのである。
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