音程も、声色も、情緒に比べると重要ではないだろう。
大切なのは、本質的なものであって、表面的なものではないのである。
音程が少々外れていても、声色が気に入らなくても、そこに心がこもっていれば、良いものとして認識することが出来るのだ。
それを理解しているから、有名な歌手は楽譜を無視して歌うのである。
大人が様々な技術を駆使して、金のために描いた美しい絵画よりも、子どもが感性を使って、相手のために描いた不格好(ぶかっこう)な"落書き"の方が価値があるのだ。
それが、自然であるだろう。
しかしながら、多くの人は、その価値観を失っている。
常識的な価値に重きを置いてしまい、本当に価値のあるものを見失っているのである。
そのため、徳の低い住職のお経を有難がり、お金を払ってまで聞いているのである。
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