住職に限らず、宗教に携わっている人達の動機は様々なものであるに違いない。
しかしながら、その道を歩み始めた頃には備わっていたであろう純粋な動機は消え失せてしまう。
神仏のために宗教の道を歩み始めることは無いとしても、誰かのために歩み始めることはあるだろう。
しかしながら、そのような純粋な気持ちも、経年劣化してしまうのである。
純粋な動機を保ち続けることは難しい。
それは、誘惑が襲うからだ。
どのような道においても、金銭や名声や地位などという誘惑が寄り添うようになる。
宗教という特殊な集団においては、それが顕著(けんちょ)なものとなるだろう。
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