それは、石や木や紙に描いた偶像と共に生きることでも、限定的な宗教の教義に従って生きることでもない。
それは、全世界に対して自分の生まれた意味を探し、目の前の状況に対して今の自分が出来ることを探し、自分が出来る貢献(こうけん)を実現し、道理を学び、それを共有し、互いに成長することの出来る生き方のことなのである。
”神”と共に生きるというのは、全世界を理解しようとする生き方のことなのである。
宗教のように、小さな世界に大勢の仲間と引き籠(こ)もり、自らを正当化することによって、世界を拒絶してはならないのだ。
苦しみを拒絶するのは、世界を理解することではない。
それは、”神”を拒絶することでもあるのだ。
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