宗教の本来の意義は、人を苦しみに対峙させるための教育であるだろう。
しかしながら、そのことを理解することなく、苦しみから逃れるための集まりだと考えている人が多いように思える。
そのような面もあるとは思うが、本来の"使い方"ではないだろう。
宗教は単なる道具であって、頼るものではないと思うのである。
足萎(あしな)えが、杖に頼り切れば、自力で歩くことは益々困難になってしまうだろう。
宗教は杖であり、足ではないのである。
そのことを理解しなければならない。
しかしながら、宗教に携わる人の多くが、宗教を足にしようとしているのである。
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