人は苦しまなければならない。
それは、わたし達が未熟であり、甘えているからだ。
未熟と甘えを克服するために苦しみが導かれるが、それから逃れるための宗教になってはならないのである。
また、今日の日本では、多くの人にとって宗教は、生活の一部としての役割が与えられているだけである。
多くの人は、宗教の本質を気にすることはないだろう。
親や周囲の人達や、地域の行事として行われているために、惰性的に取り組んでいるに過ぎない人も多い。
宗教に熱心に取り組むあまり、”神”に頼って生きることは良くないが、霊的な生き方に関心を持たず、この世の生活に熱心に取り組むあまり、”神”を忘れて生きるのも良くはないのである。
人は、”神”と共に生きなければならないのだ。
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