大天使ミカエルが、わたしの災難を取り除くことはない。
寧(むし)ろ、わたしが災難とそこから生じる苦悩に向き合うことが出来るように手助けをしてくれる。
それは、まるで良い親のような存在なのである。
災難とそこから生じる苦悩に向き合わなければならないのは、人が未熟であるからだろう。
大天使ミカエルの教えは、人生を受け入れろということなのである。
未熟者であるわたし達には、人生の正しい判断は出来ないということであろう。
目の前に導かれるどのような状況も、”神”の被造物であるはずなのだ。
しかしながら、善悪を隔てている宗教に携わっている人たちとって、それは、受け入れ難いことなのかも知れない。
しかし、宗教に携わっていないわたしには、善悪という隔たりはどこにも見当たらないのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿