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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年5月9日水曜日

追憶 2040

恐らくは、不自然を持ち込むことによって生じる不具合から、何等かの学びを得ようとしているのではないだろうか?
残念ながら、人には、最終的な調和を実現することが出来ないのではないかと思う。
それは、調和によって学びが消滅してしまうからであろう。
そのために、人はわざわざ愚行(ぐこう)によって不自然を持ち込み、歓迎(かんげい)されることもない問題を引き起こすのかも知れない。
"身から出た錆"という言葉がある。
人生におけるすべての結果は、自分という原因から生じるものなのである。
自然の神々からの影響であろうとも、それを体験しているのは自分である。
霊的な存在を認識していないとしても、そこから導かれる影響は体験しているのだ。
それは、原因が自分にあるからであろう。
もしも、神々に原因があれば、人がその影響を体験する必要はないのである。

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