宗教を信仰している人は、特定の”神”が守ってくれるものだと考えているが、わたしにはそのような認識はない。
わたしには、人の姿をした守護者もいれば、動物や幻獣の姿をした守護者もいる。
それに、仏の姿をした守護者もいれば、天使の姿をした守護者もいるし、光の姿をした守護者もいれば、声やイメージの姿をした守護者もいるのである。
宗教とは、霊的な世界の端末への認識の誤解に過ぎないのである。
仏にも天使にも会うわたしには、それを隔(へだ)てる世界観は窮屈(きゅうくつ)なものであるのだ。
そして、宗教に属している人たちの価値観にも窮屈な感覚を得てしまうのである。
それは、宗教に属している人たちの価値観は頑(かたく)なであり、簡単には変化することがないからだ。
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