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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年5月25日金曜日

追憶 2056

心を改めるということは、”神”に対する歪んだ信仰を改めるということであろう。
"お天道様が見ている"という言葉さえあれば事足りる心の状態でなければならないと思うのである。
クラーク博士が"紳士たれ"という言葉を残したが、その言葉が理解出来る状態でなければならないのだ。
これは、今日(こんにち)の日本人には難しい言葉であるかも知れない。
それは、この世の快楽や苦悩に溺れることで道理を見失ってしまい、歪んだ信仰に縋(すが)るしか出来ない人たちには理解することが出来ない言葉だからである。
問題を前にして苦しむのは、紳士(淑女(しゅくじょ))であるとは言えない。
問題を前にして、毅然(きぜん)としていられるのが紳士(淑女)であると思えるのだ。
”神”に対する純真を見失わず、正しい信仰に従うのであれば、問題を前にして感謝することが出来るのである。



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