それは、信仰が歪んでいることを意味しているのである。
面白いことに、無宗教の人であっても、心が豊かであり、立派な人格者はいる。
宗教家であっても、心が乏しく、愚者はいるのである。
一方は、”神”を気にすることもなく善行を働き、一方は、”神”を拝(おが)みながら愚行を働く。
これが現実である。
人の行いは、宗教には関わらないと思うのである。
わたしは、成人するまでの約20年間、愚かに暮らした。
多くの人に迷惑を掛け、恥を晒(さら)して生きたのである。
しかしながら、それからは、自らの愚行を出来るだけ改めるように努めている。
改まっているかは分からないが、以前に比べると、幾らかはましになったと思うのである。
わたしを改めさせたのは、宗教ではない。
木や石や紙に描かれた偶像でもないのである。
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