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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年5月11日金曜日

追憶 2042

しかしながら、老女は今だに元気に生きている。
それは、老女の意識の中には、死の要因となる程の不自然は存在していないからなのだと思えるのである。
例えば、老女は歪んではいるものの、”神”に対する信仰を抱いていた。
わたしは、必ずしも”神”を信仰する必要はないと思う。
宗教のように”神”を利用しようとも思わない。
信じたい者は信じれば良いし、信じたくない者は信じなくても良いのである。
”神”との向き合い方というのは、そのくらいリラックスしたものなのだ。
しかしながら、最終的には、”神”に対する信仰が無ければ、人生が空しさを離れて豊かなものにならないのも事実ではある。
しかし、強制は不自然であり、価値が無いのも事実であるため、自発を待つのが良いだろう。
老女には、偽物ではあるが、”神”に対する信仰心があった。
それが、老女の心をある程度整えたのであろう。




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