不安や心配も争いの一種である。
それは、この世界には"神"が存在し、すべてを必要として準備しているからである。
宗教の"神"を信仰している人達の多くは、不安や心配を抱えている。
先述したように、多くの人が宗教に属するのは、"神"を愛しているからではない。
自身の抱える不安や心配から逃れるために、宗教という集団に属したり、"神"を信仰することによって自己満足を得て、不安や心配を忘れるためである。
この世界に導かれるすべての状況は、それを受ける人にとっての最善であり、必要である。
"神"を愛しているのであれば、これくらいのことは理解しても良いだろうが、多くの信仰深い人も"神"を愛してはいない。
多くの人は、教えられた宗教の教義を守っているに過ぎないのである。
それは、"神"に反抗することであるが、信仰がそれを覆い隠してしまうのである。
そのため、宗教の"神"を信仰している人は、"神"が与えてくれた不安や心配を生み出す状況を取り除くために"神"を信仰するという矛盾を抱えてしまうのである。
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