わたしは自分が正しいとは思わない。
自分が他者よりも優れているなどと思ったこともない。
わたしは劣等(れっとう)としての自覚があるが故(ゆえ)に、自分なりの努力を重ねているのである。
劣等の自覚がなければ、わたしは勉強などしないだろう。
生まれてから20年間、わたしの劣等の自覚
は薄いものであった。
そのため、わたしは勉強も努力もせずに生きてきたのである。
小さな世界の中で、無知と愚かさと戯(たわむ)れていたのだ。
わたしは劣等であったが、劣等の自覚が薄く、それを改善する必要性を自覚することもなかった。
それは、自惚(うぬぼ)れに違いないだろう。
自分が劣等であるにもかかわらず、改善を必要としないのは、傲慢(ごうまん)に他ならないのである。
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