このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年2月19日月曜日

追憶 1961

わたしは何かを教える立場であり、同時に何かを教わる立場である。
わたしは与える存在であり、受け取る存在なのである。
それは、誰にでも当てはまることなのである。

宗教は、歪んだ信仰心を育ててしまう。
宗教の構造はピラミッド型である。
言い方が悪いが、ねずみ講と同じ仕組みであるということを理解しなければならないだろう。
宗教においては、"神"に近付く程に利益を得て、"神"から遠ざかる程に損失を得るのである。
会社の仕組みと同じである。
役員(や株主)は多くの利益を得るが、平社員(や下請け)は損失を得るのである。
会社が、組織を維持するためには、会社に対する忠誠心が必要である。
宗教が、その集団を維持するためには、"神"に対する信仰心が必要なのである。
会社に対する忠誠心(不景気という環境作りもその一環であると思える)を育てなければ、社員(や下請け)はいなくなってしまう。
"神"に対する忠誠心(ハルマゲドンや地獄の観念を植え付ける教育)を育てなければ、信者はいなくなってしまうからである。



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