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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年2月14日水曜日

追憶 1956

老女は、信仰深い人である。
彼女は、神様(神道)と仏様と先祖や故人(仏教)に対する毎日の祈りを欠かさない。
彼女にとって、神仏への信仰は人生そのものであるようだ。

多くの人は、わたしを"先生"と呼ぶ。
歳を経た人程、わたしを"先生"にしたがる。
気持ちは分からないでもないが、どの業界においても、これは、悪しき習慣であると思っている。
相手を尊敬し、自分が謙虚(けんきょ)であるためには、本来ならば上下関係は必要ないのである。
わたしには松岡真という大切な名前がある。
それに、わたしは決して、誰かに何かを教える気持ちはない。
誰かを生徒にする考えもないのである。
わたしは、目の前の人と共に学びたいと思っているし、対等だと思っている。
もしかすると、わたしの方が優れていることもあるかも知れないが、相手の方が優れていることはたくさんあるのである。
わたしは共に学んでいるだけである。
そのため、わたしが"先生"と呼ばれる道理は無く、それは迷惑なことなのである。



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