例に漏れず、老女もわたしを先生と呼んだ。
その度にわたしは自分の名前を伝えなければならなかった。
それでも、老女はわたしを先生と呼ぶので、面倒ではあるが、毎回訂正しなければならないのである。
多くの人がわたしを先生と呼ぶのは、霊能者や宗教指導者を名乗る者たちが、煽(おだ)てられることに気を良くして、自らの分際を勘違いしてきたからであろう。
例えば、多くの自称霊能者や宗教指導者は、無知であり、愚(おろ)かである。
小さな世界で、浅はかな見識を振りかざしているに過ぎないにもかかわらず、自分が正しいと思い込んでいるし、優れていると思い込んでいるのだろう。
愚かな者は、尊敬されることを望む。
愚かな者は権力を欲しているのである。
相手に先生と呼ばれることによって、自らの立場を高く保つと同時に、相手の立場を低めることによって、自慰行為(じいこうい)に酔い痴(し)れているのだろう。
多くの人は、そのような習慣にわたしを当てはめているのである。
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