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自身の体験をつづりたいと思います。
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2018年2月20日火曜日

追憶 1962

老女には、神仏や先祖に対する人一倍の信仰心があった。
裏を返せば、それは、人一倍の恐怖心を抱えているということでもある。
多くの人が神仏や先祖を信仰するのは、神仏や先祖を愛しているからではない。
その根底には恐怖心が隠されているのである。
大抵の場合、神仏や先祖を蔑(ないがし)ろにすることは不運を招くだとか、上手くいかない現実を改善するために神仏や先祖に縋(すが)り付いているだとか、ただ、そう教えられたから続けているという程度の動機なのである。
本当に神仏や先祖を愛しているのであれば、神仏や先祖が供養など求めていないことを理解することも出来るだろう。
霊的な存在である神仏や先祖が、どうして物質を求めると考えるのだろうか?
物質を必要としているのは、人間だけである。
神仏や先祖に供養として物質を捧げたとして、捧げ物をした人に何か良いことがあるだろうか?
必要の無いものを与えられたとしても、それを受け取る者には迷惑に過ぎないのである。

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