このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2016年4月30日土曜日

追憶 1328

黒い水のようなものが鼻を塞ぐと、わたしは息が出来なくなった。
それは、耳と目を塞いだ。
すべての感覚が黒く塗り潰された時、わたしは人影の目の前にいた。
それは、膝(ひざ)を抱えてうずくまるHであった。
わたしはこれがHの心の一部であることを理解した。
それは、わたしが同じ状態を得たからである。
同じ状態を得れば、相手のことを理解することもできるのである。
ここはネガティブな感情の吹き溜まりのような場所であろう。
それは、雨のように心に降り注ぎ、集合して川と成り、蓄積して海と成る。
それがここなのであろう。

2016年4月29日金曜日

追憶 1327

わたしはそれを光に帰しつつ、深みへと進んでいった。
感覚的に一段降りると、暗い空間の中央にうずくまる人の姿のようなものが見えた。
肩幅から推測して、それを女性だと考えた。
わたしは人影に近付こうと足を運んだ。
すると、踏み出すほどに悲しみに沈んでいくような感覚がした。
それは、遠浅の海に向かって海岸から歩いて行くような感覚であった。
人影に近付くほどに黒い水のようなものが増し、その抵抗に歩みは妨げられた。
重たかったが、わたしは人影に辿り着かなければならないと強く感じていた。
黒い水のようなものは首元にまで達していたが、わたしはそんなことは気にせずに進んだ。

2016年4月28日木曜日

追憶 1326

Hは心の中に腐敗を抱えている。
それが重たくて、冷静な思考もおぼつかないであろう。
それは、Hの相手のYにも言えることであるだろう。
二人が腐敗を抱えているのだから、Hの家族を納得させることはできない。
どのような問題も、その原因は自分自身にあるのだ。
そのため、自分自身を清めなければ、どのような問題も解決しないのである。
Hは問題を解決するのに必死であった。
その気持ちに、わたしは惜しみなく協力したいと思っていた。

表層には怒りや悲しみ、そして、もどかしさなどの安易な発想によって生み出された歪んだ感情があった。

2016年4月27日水曜日

追憶 1325

吐き気と共に、わたしは黒く重たいものを吐き出した。
それはヘドロのような嫌悪感を抱かせる意識であった。
Hは苦悩に耐えていたのであろう。
19歳の小さな娘には、大き過ぎる状況なのである。
Hの自衛手段としては、我慢することが限界であるだろう。
我慢することによって、多くの感情が不完全燃焼の状態で心に沈殿する。
不完全燃焼の状態で心に沈殿する感情は、残飯が強烈な臭いを放ち腐るような状態を生み出す。
それは、黒く重たい”ガス”を生じ、心の中に充満させる。
それによって、心の中は腐敗するのだ。
それが苦しみの正体である。

2016年4月26日火曜日

追憶 1324

他人のことは分からないが、わたしの場合はそのような工程が必要であるため、相手に頼まれなければ心の中の情報を知り得ない。
初対面の人の中に時々、わたしを警戒している人がいるが、後に聞くとわたしが好き勝手に心の中を覗き見るのではないか?と考えていたそうである。
残念ながら、わたしはそのような無礼なことはしないし、できないのである。
それに、心の中の情報を得ることが許されたとしても、好き勝手な振る舞いが許されるはずもない。
わたしが知り得る情報は、霊的な守護者によって許可された、その人の成長のために必要なものだけである。
他人の心の中は、他人の家と同じなのである。
礼儀を無視する愚か者には、天使は協力しないだろう。
今のところ、わたしは礼儀を弁(わきま)えているのだと思う。
そのため、天使は協力しているのであろう。

2016年4月25日月曜日

追憶 1323

右の人差し指と中指は、滑る様に背中を走った。
それは、英語の筆記体のような文字(のようなもの)の羅列である。
わたしの肉体が書き記すものではあるが、その意味は理解することができない。
わたしはそれをカルテのようなものなのではないかと推測するが、真相は分からない。
文字に見えるので、勝手に天使文字と呼んでいるだけである。
天使文字は横書きで三列書き記される。
書き終えると、それを直線で四角に囲う。
すると、描いたものが強い金色の光を放ち、背中へと吸い込まれるようにして消える。
その後から、相手の心の中の情報が手に入るようになるのだ。
だから、わたしは好き勝手に人の心を知ることができるという訳では無い。
そのような作業工程が必要であるため、相手の許可を得るのは当然のことである。

2016年4月24日日曜日

追憶 1322

Hの抱える黒いものとは、今回の問題によって生じた破滅的な感情であるだろう。
悲しみ、怒り、苦しみ、憤(いきどお)り、拒絶、嫌悪、恐れ…
推測ではあるが、様々な感情を抱いているに違いない。
Hの心の中は、感情の嵐が吹き荒れているであろう。
黒いゲップを続けていると、Hを覆う黒いものが減った。
表層の黒いものを取り除くと、深層の黒いものに取り掛かることができる。
心の中に入るには”正式”な手順を踏まなければならない。
それが、天使文字である。

2016年4月23日土曜日

追憶 1321

直ぐに嫌悪感と吐き気が襲い、わたしは黒いゲップをした。
肉体も霊体もそれを拒絶する。
そのため、わたしは自身の”所有する”肉体と霊体を冷静にさせるために、一度短く息を吐く。
気合いを入れることによって、意識を切り替え”させる”のである。
肉体も霊体も、魂であるわたしの言うことを聞かない。
魂は何も所有していない純粋な光であるだろうが、肉体と霊体は恐れを抱いている。
魂であるわたしは、肉体と霊体と協力しなければならない。
そのためには、説得する必要があるのだ。
肉体と霊体が恐れているのは、Hの抱える黒いものにである。

2016年4月22日金曜日

追憶 1320

後日、Hは一人でわたしを訪ねた。
それは、光の仕事を受けるためである。
Hは実家に身を寄せており、Yは松山市に自宅があり、仕事もあるので、二人は別々に生活していた。
Hは何とか現状を脱したいと思っていた。
自分達と家族の双方が納得する答えを探していたのである。
わたしは許しを得て、Hに背中を向けて座るように告げた。
その時点で、わたしは吐き気を覚えていた。
黒い煙のようなものが、Hの胸と頭とお腹を隠しているように見えている。
一つ深呼吸をして、わたしはHの心に意識を集中した。


2016年4月21日木曜日

追憶 1319

堕胎することが倫理的に間違っていることは分かっている。
しかし、自分の理想とは掛け離れた現状が、判断を歪ませている。
倫理に従うことが正しいのか?
理想に従うことが正しいのか?
分からないのである。
これは、誰もが受けなければならない学びであるだろう。
誰もが、理想と倫理の狭間で迷っている。
倫理を立てれば理想が立たず、理想を立てれば倫理が立たない。
しかし、どちらか一方を選ばなければならないのだ。
彼等には、その選択が迫っているのである。

2016年4月20日水曜日

追憶 1318

その日、わたしは彼等の嘆きを聞き、霊的な存在が示す方法を伝えて帰宅した。
彼等とH達が理解し合うには、長い時間が必要であるだろう。
わたしが焦ることはないが、彼等は焦っていた。
それは、苦肉の策としての堕胎の可能性が残されているからである。
時間の経過と共にその選択肢は小さくなっていくので、彼等の中の価値観がそれを焦っているのだ。
現時点において、彼等は決め兼ねている。
いや、決められないのである。
それは、何が本当に最善であるかを知らないからだ。

2016年4月19日火曜日

追憶 1317

わたしは手紙の通りに話した。
わたし(霊的な存在)の意見は一貫している。
それが変わることはない。
彼等は、再び同じ言葉を聞かなければならない。
何度も聞くことによって、人はその考えに慣れてくる。
慣れてくれば、それも良いのではないか?と思えてくる。
そうやって、少しずつ受け入れる体制が整ってくるのである。
人に意見を聞き入れてもらうためには、何度も伝える必要があるのだ。
水が高野豆腐を柔らかくするように、強い否定の気持ちもやがては柔らかくなるのである。

2016年4月18日月曜日

追憶 1316

わたしは、自身の経験によって、それが簡単ではないことを知っている。
誰もが受け入れる勇気がなく、変わることを恐れているのである。
わたしは彼等の嘆(なげ)きを一通り聞いた後に、その感情を受け入れた。
わたしは彼等を理解することができる。
しかし、わたしは彼等を別の意見によって否定しなければならなかった。
それは、変わるためである。
彼等は、わたしからの手紙によって、自分達が否定されることを知っている。
しかし、わたしを呼んだのは、否定されることを受け入れたいという思いがあったからであろう。

2016年4月17日日曜日

追憶 1315

彼等の口が紡いだ言葉は泣き言であった。
彼等はわたしに苦しい胸中を語ってくれた。
彼等は悲しんでいるのだ。
悲しみによって怒り、悲しみによって苦しんでいるのである。
自分達の感情をどう処理して良いのかを決め兼ねているのだろう。
彼等が最も強く望んでいるのは、Hの幸せである。
しかし、価値観(既成概念)がそれを惑わせる。
どうすることがHの幸せであるかは、彼等にも十分に分かっていることであろう。
しかし、感情がそれを受け入れさせることは無かった。
決断には勇気が必要なのである。

2016年4月16日土曜日

追憶 1314

そのため、わたしは彼等に対して正直でなければならない。
嫌われようがそれは問題ではない。
わたしの依頼主は、彼等ではないのである。
わたしの仕事は、Hのお腹の子を守ることであり、それに関わるすべての人に必要な学びを導く手助けをすることだ。
それが、依頼主の願いである。
彼等はそれに反発するかもしれない。
容認するよりも、その可能性の方が高いだろう。
しかし、わたしはこの事態を彼等に受け入れさせるだろう。
目の前に差し出されたお茶を眺めながら、わたしはこのようなことを考えていた。
そして、彼等はわたしの前に座った。

2016年4月15日金曜日

追憶 1313

わたしは、彼等を救う手立てを持っている。
わたしは彼等を悩みから救い出すことができるのである。
そのためにわたしはここにいるが、それは彼等の内の誰かがわたしを呼んだのではない。
H達とHの家族、そして、お腹の子を大切に思う霊的な存在がわたしを呼んだのだ。
その呼び掛けに、Hの家族の内の誰かが呼応(こおう)したに過ぎない。
だからこれは、Hの家族から依頼された仕事ではない。
彼等を大切に思う霊的な存在から依頼された仕事なのである。
わたしが助けるのは霊的な存在であり、その結果として彼等は救われるのである。

2016年4月14日木曜日

追憶 1312

彼等は悩みを抱えていた。
それは、表情にまで現れていた。
彼等は体裁(ていさい)を守ろうとして、気丈に振舞おうとしていたが、悩みがそれに勝っていることは明らかである。
疲れ切っているのだろう。
彼等の瞳には力が無かった。
無理に笑顔を作ろうとするが、それは若鳥の羽ばたきのようにぎこちないものであった。
わたしは彼等の心中を悟った。
自分達の力ではどうすることも出来ない問題が道を塞いでいるのだ。
それに疲弊(ひへい)しているのだろう。
彼等は、手段を失っているのである。

2016年4月13日水曜日

追憶 1311

人が一度決めた価値を変えることは難しい。
思い込みは根強く、その心に広く蔓延(はびこ)る。
それを取り除くには、長い時間と多くの働き掛けが必要である。
そのため、わたしは手紙を第一段階としたのである。
わたしはH達に長丁場になることを伝えていた。
それが自然である。
人の心は、その人が別の価値を見出すまでは変わらない。
”奇跡”が起きて急に変わることや、呪術などによって変えようと試みるのを期待するのは間違いである。
そのため、H達も覚悟を決めて臨んでいたのである。
わたしは、Hの家族から歓迎され、居間に通された。

2016年4月12日火曜日

追憶 1310

Hの家族の間には、黒い霧のようなものが立ち込めていた。
それはわたしを重たくさせた。
それは家を覆い尽くすくらいに広がっていた。
わたしはHのことを祝福していたので、真逆の結果を受ける”この人たちはなんて不幸なのだ”と心の中で泣いた。
手紙だけでは、彼等の考えは変わるはずがない。
それは、半世紀以上もの歳月を掛けて形成された鉱石のようなものなのである。
彼等はそれを高価な資産だと思い込んでいる。
冷静に考えれば、宝石などは只の石ころに過ぎない。
しかしながら、”誰か”がそこに価値を付けた。
宝石は生存には何ら関わりが無いにもかかわらず、食料の何千、何万倍以上もの金銭的価値を得ているのである。

2016年4月11日月曜日

追憶 1309

後日、Hは家族に対して手紙を渡した。
あの手紙は、家族に冷静さと新たな可能性を知らせるはずである。
これによって、停滞していた状況には亀裂が入り、やがては決壊するはずである。
わたしはその未来を知っていた。

数日後、わたしはHの家族に面会を求められた。
H達に関することであるのは容易に想像がついた。
手紙が家族に対してどのような影響を与えたのかを知りたかったので丁度良かった。
そこでわたしは、Hの家族に会うために出掛けた。


2016年4月10日日曜日

追憶 1308

わたしは、HとYの気持ちとこれからの考えを聞き、家族を説得するための知恵を提案した。
その時に、Yはわたしよりも肉体としては歳上ではあるが、その魂は若いことを悟った。
わたしとHとは家族に対して別々に手紙を書いた。
そこでわたしは、Hに憤(いきどお)りを離れて書くことを条件とした。
怒りは、すべての道を歪めてしまうからである。
第三者の意見を取り入れながら、Hは何とか手紙を完成させた。
わたしはそれを読んだが、Hの気持ちが素直に表現された素晴らしいものになったと思えた。
わたしの手紙と共に家族に渡せば、第一段階は完了である。

2016年4月9日土曜日

追憶 1307


”手紙を書きなさい”

わたしは言葉を受けた。
その言葉に従って、二人に手紙を書くことを提案した。
冷静な話し合いのためには、手紙という方法が最善であったのだろう。
手紙であれば、感情の干渉も少なく、比較的に素直な気持ちを伝えることができる。
受け取る側も多少なりとも冷静さを保つことができるし、何度も読み返すことによって頑(かたく)なになった心も緩むであろう。
手紙を書くということは、闘鶏の檻に仕切りを入れるようなものである。
相手が直接的に見えなくなれば、闘鶏は闘うことをやめる。
手紙によってH達と家族の間に見えない壁を置くことによって、争いは幾らかは和らぐであろう。

2016年4月8日金曜日

追憶 1306

わたしは、H達と家族の間には無知があることを知っている。
それを解消すれば問題も解消するであろう。
互いのことを知らないでいるのだ。
Hの家族はYのことを知らなかった。
YがHの家族に会ったのは、妊娠の報告の時だったからである。
家族からすれば、自分達の価値観を揺るがすYに対して心を閉ざすのは当然のことである。
心を閉ざしているのだから、Yに対する理解が進むはずはない。
理解が進むことがなければ、無知は解消されないのである。

2016年4月7日木曜日

追憶 1305

これは、わたしの頭が考えることではない。
これから出る言葉はわたしの口が紡(つむ)ぐが、自分勝手なものではない。
この考えも、これからの言葉も、H達に関わる霊的な存在から出るのである。
わたしはその代弁者に過ぎない。
わたしにはそれ以上のことは何一つ出来ないのである。
しかしながら、霊的な存在の意思とわたしの思いの方向性は似ている。
わたしはいつも霊的な存在の意思に共感し、それを手伝いたいと思うのだ。
だから、わたしの肉体を通じて出ることは、わたしのものでもある。
わたしは、肉体を通じて出ることを、自分の責任であると考えているのである。

2016年4月6日水曜日

追憶 1304

しかしながら、これに関わるすべての人には、それを理解することが出来なかった。
わたしの仕事はこの目的を知らせ、受け入れさせることにあるだろう。
わたしが取るべき選択は、Hのお腹の中の小さな命を生かすことである。
それを生かすことによって、これに関わるすべての人に新たな時代を導く必要があるのだ。
この子が生まれなければ、彼等には新たな時代が導かれない。
既に価値観は固着し、地を濡らす雨も染み込んではいかないだろう。
例えば、わたしがどれだけ彼等に伝えても、聞き入れはしないだろう。
親戚だからという理由では話を聞くことはあっても、それを受け入れて自分のものとすることはないのである。

2016年4月5日火曜日

追憶 1303

Hが子を授かったことに対して、本来ならば感謝しなければならないだろう。
しかし、人の感情はそう簡単に割切れるものではない。
今までに築いてきた価値観(常識)が、それから外れる状態を拒絶するのである。
Hの家族は、それを受け入れることが出来なかった。
そのために意見が分かれ、争っているのである。
H達の行為は、自分達の学びと、家族に対する学びを兼ね備えている。
H達は価値観がそれぞれに違い、そこから導き出される価値と問題を学ぶ。
家族は、古い価値観を壊して”もらい”、新たな時代を生きるための準備をするのである。

2016年4月4日月曜日

追憶 1302

二人は、自分自身の未熟さによって苦しんでいるのである。
それは、性行為をしたことでも、子を授かったことでもない。
それ等は何の問題でもないのだ。
責任感に欠けた行為を選択する愚かさが問題なのである。
しかしながら、起きたことを変更することは出来ない。
Hのお腹の中の小さな命は、二人や関係者の問題となるために来たのではない。
寧(むし)ろ、問題を解決するために来てくれたのである。
問題を解決するためには、問題を提起(ていき)する必要がある。
お腹の小さな命が来なければ、何の問題もなかった。
問題が提起されなければ、問題となる未熟さは埋れたままである。

2016年4月3日日曜日

1301

普通に話を聞いても、二人の問題点が見えてくるものである。
わたしはYのことを知らなければならないと考えていたが、同時にHのことも知らなければならないと感じた。
それは、わたしはHのことを多少なりとも知っているつもりであったが、大人(ここでは、性に目覚めた肉体の状態)になったHの思考体系は、わたしの知っているものとは大きく違っていたからだ。
話を聞く限りでは、二人の最大の問題点は”感情に従う”というものだった。
二人は感情に従って性行為に至り、感情に従って子を授かったのである。
もちろん、霊的な観点から見ればそれだけのことではないが…
感情に従うことによって、その場凌(ばしの)ぎの無計画な行為を選択し、苦悩が導かれるのである。

2016年4月2日土曜日

追憶 1300

霊的な存在の協力がなければ、人は何も”見る”ことは出来ない。
多くの人はこのことを知らずに、自力によって”見ている”と思い込んでいるのである。
明かりがなければ、人は夜道を歩むことが出来ないのである。
二人を前にしても、わたしの霊能力は働かなかった。
わたしはYに関する情報を自力によって得る必要があったのだ。
それは、わたしの守護者である霊的な存在が、”見る”必要はないと判断したからであろう。
ただ、それだけのことである。
だから、わたしは会話の中から探る必要があるのである。
今のわたしに必要なのは洞察力であろう。

2016年4月1日金曜日

追憶 1299

霊能力とは、守護霊と呼ばれる霊的な存在などの協力によって発揮することが出来る力であると考えれば良いだろう。
自然界においては、人間の持つ霊的な力は肉体の壁によって阻(はば)まれている。
それは、電球に覆(おお)いを被(かぶ)せるようなもので、光は広がらない。
人の魂である光は、肉体という覆いによって力を制限されているのである。
人間が単体であれば光量が少なく、照らすことが出来ない。
それは、”見えない”状態を得るのである。
肉体を所有する人間よりは、守護霊などの霊的な存在の方が肉体の覆いが無い分だけ光を発揮し易い。
そのため、霊的な存在の協力によって、霊能力は発揮されるのである。
霊能力とは、所謂(いわゆる)神懸かりのことである。