わたしが望むものは何であろう?
胸の痛みがわたしに問い掛けているようである。
わたしが望むものは、女の子の幸せであった。
これは、偽善ではない。
わたしは幼い頃から、余り自分の幸せには執着しなかった。
誰かが同じものを欲している時には、大抵の場合、それを相手に譲(ゆず)った。
争うことは苦手であり、競争することにも価値を感じない。
そのため、大抵の場合、自分のことは遠慮するのである。
この時も、わたしは自分の幸せのことなど考えてはいなかった。
胸の痛みよりも、女の子の涙の方が苦しいと感じるのである。
そのために、わたしは問い掛けに対して、女の子の幸せを望んだ。
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