このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2015年11月30日月曜日

追憶 1176

光の十字架が箱に刺さると、わたしは強烈な吐き気を覚え、意思に関係なく口が開いた。
すると、大量の黒い煙のようなものが吐き出され、瞬く間に頭上に広がった。
黒い煙のようなものを吐き出すと、吐き気も消えた。
わたしは疲労を感じていたが、女の子を助けるという使命感の方が優っていたのである。
再び光の十字架を生み出すと、頭上の黒い煙のようなものに投じた。
光の十字架は、黒い煙のようなものを金色の光によって優しく包むようである。
光に包まれた黒い煙のようなものは、光の粒へと変容した。
それは軽くなり、天の光へと向かって上昇していく。
その美しい光景によって、いつの間にかに疲労は去っていた。

2015年11月29日日曜日

追憶 1175

箱に触れていると、恐怖感が沸き起こってくるように感じた。
箱に意識を合わせると、怒りと悲しみの感情が伝わってくる。
それ等のネガティブな感情が、わたしを重たくさせるのであろう。
女の子を見ると、頭を抱えて震えているようである。
それを見た時に、この箱が女の子を苦しめているのだと直感した。
空中に十字を引くと、光の十字架が現れる。
これは、金色の光を放ち、周囲の暗闇を押し退けた。
光の十字架を掴むと、わたしはそれを抱える箱に突き刺した。

2015年11月28日土曜日

追憶 1174

「それで良いのです」

どこからか声が届いた。
同時に胸の痛みと吐き気が強襲し、わたしは黒い”箱”を吐き出した。
意識が分断するように感じるほどの衝撃である。
回復を待って改めて見ると、それは古びた木箱であった。
頑丈そうな鉄の鍵がかけてあり、簡単には開きそうにもない作りである。
胸の痛みと吐き気は無くなった。
恐らくは、この木箱が原因であったのだろう。
女の子は泣くのを止め、座ったまま沈黙していた。
疲労した身体に鞭(むち)を打って、わたしは木箱に近付き、両手でそれを抱え上げた。
何が入っているかは分からないが、それは想像していたよりも随分(ずいぶん)重たいものであった。

2015年11月27日金曜日

追憶 1173

わたしが望むものは何であろう?
胸の痛みがわたしに問い掛けているようである。
わたしが望むものは、女の子の幸せであった。
これは、偽善ではない。
わたしは幼い頃から、余り自分の幸せには執着しなかった。
誰かが同じものを欲している時には、大抵の場合、それを相手に譲(ゆず)った。
争うことは苦手であり、競争することにも価値を感じない。
そのため、大抵の場合、自分のことは遠慮するのである。
この時も、わたしは自分の幸せのことなど考えてはいなかった。
胸の痛みよりも、女の子の涙の方が苦しいと感じるのである。
そのために、わたしは問い掛けに対して、女の子の幸せを望んだ。


2015年11月26日木曜日

追憶 1172

女の子はずっと泣いていた。
その声を聞きながら、わたしは苦しみに耐えていた。
女の子の泣き言を聞く程に、少しずつではあるが気分の悪さが増しているように思える。
しかしながら、わたしは動くことができなかった。
この苦しみを受ける必要を感じていたのである。
この苦しみを耐えることこそが、わたしに求められている”仕事”なのだと感じるのだ。
そのため、わたしは苦しいが女の子の側を離れないのである。
突然、強烈な吐き気に襲われた。
胸の奥で何か大きな”固形物”が動いているのを感じる。
これが動く度に、胸の奥が激しく痛むのであった。

2015年11月25日水曜日

追憶 1171

振り向いたのは、真っ黒な顔であった。
しかし、それが女の子であることは分かったし、泣いているのも分かった。
女の子からはネガティブな印象を受ける。
見た目が真っ黒であることや泣いていることだけではなく、ネガティブなエネルギーが伝わってくるのである。
わたしの問い掛けに対して、女の子は泣き言で返した。
ここには女の子以外には誰もいない。
そして、何も見当たらなかった。
相変わらずの胸の痛みと、全身を襲う重さによって、わたしはその場に腰を下ろすことにした。
泣いている女の子に話し掛けても何の反応もないので、わたしはその場で休むことにしたのである。
肉体を所有している訳ではないので、休んだところで状態は変わらないのであろうが、習慣がわたしにそうさせたのであろう。

2015年11月24日火曜日

追憶 1170

目を凝らすと、少し先の暗がりに更に黒い塊が見えた。
小さな泣き言はそこから届いているようである。
わたしは胸の痛みと、全身を襲う鉛(なまり)のような重さを引き摺(ず)って、なんとか歩を進めた。
近付いて見ると、それが女の子の背中であることが分かった。
そこにあるものが女の子の背中だと分かった途端、わたしは安心感から変な緊張を所有していたことに気が付いたのである。
しかし、それだけでは胸の痛みと、全身を襲う重さが解消されることはなかった。
それにしても、こんな寂しい場所に女の子が独りで泣いているのにはそれなりの理由があるのだろう。
それを聞くために、わたしは小さな肩に手を伸ばした。

2015年11月23日月曜日

追憶 1169

少し奥に進むと、秋の夕暮れのように周囲が急に暗くなった。
幼い頃のわたしは、秋の夕暮れに切なさを覚えることがあったが、その時と同じような感覚を得た。
寂しさが、わたしを感傷的にさせるのだ。
これは、Aの心の中に存在している”センチメンタル”ではないだろうか?
わたしが向かっているのはそこである。
更に進むと、悲しみによって動揺した。
胸が切り裂かれるような痛みによって脈打ち、ここから逃れたいと思った。
わたしは歩けないと感じた。
これ以上は進みたくないのである。
その時、どこからか女の子の小さな泣き言のようなものが、わたしにそっと触れた気がした。

2015年11月22日日曜日

追憶 1168

Aの心の中は、入り口はとても明るく、良い雰囲気を感じた。
わたしはここを心地好く思い、長居したいと考えた。
しかし、目的を思い出して先へ進むことにした。
心の入り口とは、心理学でいう顕在意識(けんざいいしき)であろう。
それは、自分自身である程度の認識、記憶、操作することのできる意識である。
Aは気立ての良い子である。
朗(ほが)らかな印象を受けるし、それは幼い頃から変わりないと感じる。
それは、わたしの受ける印象通りの心であった。
しかし、どこかで悲しみが引っ掛かる。
その矛盾が気になって仕方ないのである。

2015年11月21日土曜日

追憶 1167

目を閉じると、Aの背中にわたしの右手の人差し指と中指が走った。
それをわたしは天使文字と呼んでいるが、欧文文字の筆記体のようではあるが、見たこともない文字の書体であり、それは金色に輝いている。
神代文字であるアヒル草文字を横書きにしたような姿である。
天使文字を三行記し、それを直線で囲む。
そうすると、それは輝きを増して一つの光のようになる。
それを背中に押し込む。
すると、どういう訳か、心の中を理解し易くなるのであった。

2015年11月20日金曜日

追憶 1166

「始めなさい」

天から声があり、わたしは仕事を始める必要があることを悟った。
Aは、その顔には似合わない緊張を浮かべていた。
わたしがAを呼ぶと、緊張の上にぎこちない笑顔が咲いた。
細い背中を見ると、わたしは悲しくなった。
これはわたしの感情ではない。
”誰か”の感情が伝わってきているのだ。
どこかに、悲しんでいる誰かがいるのではないだろうか?
取り敢(あ)えず、今のわたしに分かることは悲しみの感情がどこからか来ていることである。
今のわたしに出来ることは、その出処を探すことであろう。

2015年11月19日木曜日

追憶 1165

Aの抱える”病”と、その原因が何であるのかは分からない。
しかし、それが存在していることは確信した。
根拠の無い確信ではあるが、科学でさえ同じ段階を踏む。
根拠の無い理論によって観察と実験に至り、その積み重ねが理論の証明(可否)を実現するのである。
現段階では、Aが何等かの”病”とその原因を抱えていて、それを取り除く(解決)することによって、より豊かな人生を得ることができるという理論がわたしの中にある。
この理論を観察と実験によって証明する必要があるのだ。
その観察と実験こそが、光の仕事なのである。
机上の空論ではいけない。
命を掛けて実際に向き合う必要があるのだ。

2015年11月18日水曜日

追憶 1164

部屋に入り、わたしは中央の虎柄の座布団の前に、Aは入り口の座布団に腰を下ろした。
わたしはAに楽にしておくように伝えて、深い呼吸と共に瞼(まぶた)を閉じた。

鼓動が早まるのは、苦しみに会った喜びであろうか?
それとも、他の要因であるのか?
わたしが強く感じるのは、胸の奥にある歪みである。
これは、破滅的な意思を所有し、”病”の元になっている。
わたしが認識することができるAの抱える問題の中で、優先されるべきはこれであろう。
そこまで感じ取ると、意思に反して瞼が開いた。

2015年11月17日火曜日

追憶 1163

しかし、この胸の苦しさは何であろうか?
悲しみと辛さが混じり合うような嫌な思いが胸の中で叫んでいる。
それは、手が届かない場所にある背中の痒(かゆ)みのような、何とも言えないもどかしさなのである。
Aを部屋に案内しながら、わたしは胸の中で叫んでいるものの正体が気になっていた。
そして、同時にそれはわたしを高揚させた。
なぜなら、わたしにとっては、人の心に存在する破滅的な感情は”仕事”を意味していたからだ。
多くの人は苦しみを嫌うが、わたしはそれが好きなのである。
しかし、人が苦しんでいるのが好きな訳ではない。
人が抱える苦しみに向き合い、それを解決に導くことが好きなのである。
それは、わたしの役割と能力に関係していることであるだろう。

2015年11月16日月曜日

追憶 1162

約束の時間にAはやって来た。
玄関の磨りガラス越しには、夜の静寂を背景として、細身の女性の姿が映し出されている。
しなやかに伸びた頭身には、山ツツジのような気高さと、凛とした美しさを感じた。
扉を引くと、退屈な山の緑をツツジの花が鮮やかに彩るように、Aの笑顔が夜の静寂を華やかなものに変えていた。
わたしは胸を打たれたように感じて、Aの笑顔を褒(ほ)めた。
それを受けたAは、しなやかにそれを返す。
すっかり女性になっていた。
久々の再会を喜び合って、わたしはAを部屋に通した。


2015年11月15日日曜日

追憶 1161

Aと会うのは何年ぶりだろうか?
年齢が離れているのもあって、小学生の頃からはまともに会ってはいない。
Aが中学生の頃以降は記憶にもあまり無いような状態であった。
十九か二十歳くらいだろうか?
見た目はかなり変わっているはずである。
わたしは久々の再会に”少しだけ”心を踊らせていた。
しかし、わたしはAの容姿よりも内面に興味があった。
幼い頃から知るAの内面を知りたいという欲求もあったのは事実である。
わたしにとっては、人の内的構造とでも言うのだろうか?
そんなものに価値を覚えるのである。
これは、わたしの持つ”存在する意味”から生じる価値観であろう。

2015年11月14日土曜日

追憶 1160

Aは、わたしの幼馴染の妹である。
年齢は5歳程離れている。
わたしにとっても可愛い妹のような存在である。
幼い頃は家族ぐるみで時々遊んではいたが、年齢を重ねるのに比例して、会う機会は少なくなった。
中学に上がってからは、ほとんど話した記憶がない。
幼馴染の妹とは言え、接点はないのである。
時々見掛ける程度のことであった。

光の仕事を始めて2、3年経過したであろうか?
詳しくは覚えていないが、わたしの話を自らの母親に聞いたであろうAから連絡を受けた。
わたしたちは時間を調整して、後日会うことにした。


2015年11月13日金曜日

追憶 1159

個人的な事柄ではあったが、わたしは恥を忍んで彼女に体験を伝えた。
これは、彼女にとっても何か大切な知識となると感じたからである。
彼女の反応は薄いものであった。
それは、実感が湧かないからであろう。
それも仕方のないことに思える。
しかしながら、いつかは役に立つはずである。
なぜなら、すべての人が自分自身と向き合わなければならない時が来るからだ。
それから、わたしたちは様々な話をして別れた。
今回の光の仕事が、彼女の今後に良い影響を与えることを願う。
前世では一度切りの出会いであったが、今世ではどうであろう?
(この話から現在に至る約6年間(曖昧)、わたしは彼女には会っていない)
出会いは真理が因果の仕組みによって決めるだろう。
わたしと彼女の間に因果の必要性があれば、再会も用意されるはずである。

2015年11月12日木曜日

追憶 1158

彼女の背中に、わたしは安心感を覚えた。
そして、同時に自分自身との約束を果たしたように感じて、どこか誇らしかった。
わたしは自分自身との約束を、長い年月(幾つかの人生)を経てようやく成し遂げることが出来たのである。
人が抱えている苦しみの原因の一部は前世にあるだろう。
生まれ変わる時には、苦しみの原因である無知や誤解などの歪みも持ち越す。
そのようにして、わたしたちは自らの歪みを乗り越える機会を伺(うかが)っているのであろう。

2015年11月11日水曜日

追憶 1157

多くの人は苦しみを否定するが、それは浅はかであろう。
すべての苦しみが内から生じると表現しても過言ではないだろう。
受けるものをどう解釈するかは本人次第である。
内に歪みを所有していなければ、誤解もない。
人が苦しみを受けるのは、内に苦しみの元が存在しているからに他ならないのである。

光の粒が天に溶けた後、わたしは瞼(まぶた)の内側を見ていることに気が付いた。
いつの間にかに意識が切り替わり、視点が戻っていたようである。
わたしは室内の明かりに慣らすように、ゆっくりと瞼を上げた。

2015年11月10日火曜日

追憶 1156

光の十字架によって、黒い煙は光の粒となった。
光の粒は黒い煙よりも遥かに軽く、自ずから天に向かって上昇するのであった。
天には一番星のように見える太陽のような光が存在し、光の粒はそこへ吸い寄せられるように上昇を続けるのである。
わたしは光の粒に対して感謝の気持ちを伝えた。
しかし、光の粒に対しての思いではなかった。
それは、黒い煙に対しての思いである。
黒い煙はわたしの歪みではあったが、この歪みのおかげで気付きを得ることが出来た。
これを所有していなければ、わたしは未だに愚かなままであっただろう。

2015年11月9日月曜日

追憶 1155

魂に汚れが付着し、それが魂からの光を歪める。
その歪みが心となり、心は選択肢を与える。
心による選択肢によって人は行為し、その行為の集積が世を築くのである。
そのため、一見すると大袈裟な見解も、強(あなが)ち間違っているとは断言出来ないのである。

黒い煙の情報を読み取ることで、わたしは新たな気付きを得た。
その気付きを以て、この学びは終わりである。
わたしは右手が光の十字架を黒い煙に投じるのを見た。

2015年11月8日日曜日

追憶 1154

前世の話から世の中の話になるのは、いささか強引であるように思うかも知れない。
しかし、人の世は(ある意味)人が作り上げるのである。
人とは心であり、魂である。
(本当は魂などという個体ではなく、全体と一つの存在(”神”)であり、何者でもないのだが…)
前世の記憶、経験、感情はここに保存されていると推測される。
人が世を作ろうとする時には、魂に従って行うだろう。
そのため、前世と世の中の話には因果が存在していると思うのである。

2015年11月7日土曜日

追憶 1153

絶食療法や瀉血療法(しゃけつりょうほう)というものがある。 
西洋医学は”ある目的”のためにこれ等の療法を認めない。
現代人が寿命を伸ばしているのは西洋医学のおかげである。
大抵の人は自分を肉体だと思い込んでいるし、長生きすることが幸福などと思っている。
しかし、現状といえば、健康寿命は明らかに減少している。
病人が生にしがみ付いているのが現状なのだ。
もちろん、西洋医学だけが悪者ではない。
食品業界、衛生業界、教育界、出版情報業界、政界、経済界、工業界、建設業界…
すべての相互作用によって今日の歪んだ世界が築かれているのである。

2015年11月6日金曜日

追憶 1152

しかし、どれだけ多くの知識や能力によって”武装”したとしても、それによって守ることが出来るだろうか?
そもそも、敵など存在するのだろうか?
敵など存在しないのに武装することは、今日の国同士がやっている”戦争ごっこ”と同じではないのか?
本来ならば、人類に敵など存在しないのに、仮想の敵を作り上げ、争うことによって他者から利益を奪い取る。
それが今の地球の姿である。
付け加えようとするから、満足することが出来ないし、満足することが出来ないということは、本質を欠いているのである。
天使達はそのことを知っているのであろう。
そのために、わたしの内から前世の歪みを引き出させるのである。

2015年11月5日木曜日

追憶 1151

付け加えるということは、大きく複雑になるということである。
それは、純粋さが失われるということでもあるだろう。
人に付け加えるのであれば、自我が大きく複雑になる。
これによって、人は”自分”という存在を見失う。
今日を生きる多くの人は、”自分”が何者であるのかを知らないであろう。
それは、大きく複雑になった自我によって、本来の”自分”が隠されているということだ。
多くの人は”自分”を確立するために、多くのことを付け加える。
様々な知識や能力によって”武装”した存在を”自分”としているのである。

2015年11月4日水曜日

追憶 1150

今回、わたしは自らの過去生から問題(間違った信仰)を取り除いたように、病を得れば何かを取り除く必要があるのではないだろうか?
病を解決しようとして薬を加えるよりも先に、病を発生させる考え方と習慣を取り除く努力があれば、病に会うことなどないであろう?
西洋医学の基本理念は、”毒を以て毒を制す”ということであるから、基本的には加えることに専念するのである。
明治維新以降の日本は、それまでの取り除く努力から、付け加える努力へと変わっていった。
日本的な侘(わ)びの精神は失われ、西洋的な盛(さか)りとでも言うような精神に取って代わられたのである。
それは、歪んだ世界と心を助長した。

2015年11月3日火曜日

追憶 1149

多くの人は肉体的な感覚の中に生きている。
自分という存在を肉体(脳や心臓)だと考えている。
そのため、人生には疑問が尽きない。
疑問が尽きないから、苦悩が絶えないのである。
大抵の人が苦悩を抱いて生きているだろう。
そして、その解決を唯物的な偏った方法に頼る。
何かしらの病を得れば、薬によって解決しようとする。
病院に出向き、医者という他人に任せれば解決すると本気で考えているのである。
肉体の病を薬などの方法で治療することにはまだ理解することはできるが、精神の病をも薬などの方法によって治療しようとすることには驚くばかりである。

2015年11月2日月曜日

追憶 1148

そのため、”神”が前世のことを来世に語ることなどは容易いであろう。
”神”はわたしに間違った信仰を取り除くように語り、彼女への因果を果たすように命じたのである。
今回の仕事の要点はそこにあるだろう。
すべてを理解した時、わたしは初めて彼女と面識した時に久しく感じたことへの合点がいった。
前世を含めて考えれば、自らの感覚にも納得が得られるのである。
人間的な感覚とは、肉体的な感覚であろう。
肉体にとっては、今回が初めての人生であるから、死後の世界や生まれ変わりなどは存在しないと結論付ける。
肉体にとってはそれで正しいのである。

2015年11月1日日曜日

追憶 1147

”神”という存在がいるのであれば、それは人間のような小さな感覚の中にはいないであろう。
”神”は、人間の所有する時間感覚に限定されてはいないはずだ。
人は一年や十年、百年や千年単位で時間を捉えるが、”神”はそのような感覚を持たないであろう。
想像することもできない程の長い時間単位と、想像することもできない程の短い時間単位を所有している。
もしかすると、時間感覚すら所有していないかもしれない。
時空間を超越し、別の世界(次元)を同時かそれ以上に扱っている。
過去も現在も未来も、同時かそれ以上に扱っている。
”神”とはそのような存在であるだろう。
しかし、これは、わたしの貧弱な想像力が思い付いた”神”の限界である。
本当は、わたしには想像すら及ばない強大な存在であるに違いなのだ。